バイブル・エッセイ(265)「神の子」の尊厳


「神の子」の尊厳
 昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。この婦人たちは、イエスガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。(マルコ15:33-41)
 十字架上で無力な姿をさらけ出し、あわれな死を遂げたイエスを見上げながら、この百人隊長は「本当に、この人は神の子だった」とつぶやきました。なぜでしょう。それは、抗いがたいほど大きな力に翻弄されながらも、神から与えられた救い主としての使命を最後の瞬間まで果たしぬいたイエスの姿に「神の子」の尊厳が輝いたからだろうと思います。
 わたしは昨日まで東北の被災地にいましたが、そこでも同じような輝きとたびたび出会いました。例えば、大槌町を訪れた時のことです。この町にカトリック教会が設けたベースから200mほど離れたところに、窓は全て割れ、壁があちこち剥がれ落ちた2階建ての鉄筋コンクリートの建物があります。町長以下、数十人の職員が津波に呑まれて死亡した大槌町役場です。津波が押し寄せた時、町長さんたちは災害対策会議をしているところでした。1人でも多くの人を逃がしたい一心で働いているうちに、自分たちが津波に呑まれてしまったのです。無残に破壊された建物の前にたたずみながら、命の危険さえ省みずに公務員としての使命を最後まで果たし抜いた彼らのことを思ったとき、わたしはその姿に「神の子」の尊厳を感じずにいられませんでした。
 大船渡の町では、津波で破壊しつくされた町のあちこちにプレハブの商店や飲食店が建ち始めているのを見かけました。あるプレハブでは魚屋さんが威勢のいい売り声を挙げ、あるプレハブでは床屋さんが一生懸命にお年寄りや子どもたちの髪を刈っていました。それらのプレハブに郵便物を配達するためでしょう、廃墟となった町の中をバイクでとことこと走り回る郵便配達の姿も見かけました。津波で全てを失いながら、もう一度生きるため、町を甦らせるために立ち上がった彼らの姿にも、わたしは「神の子」の尊厳を感じました。
 今回のボランティア・チームに参加した11人が皆、それぞれに被災地の人々の生きる力、命の尊厳に触れ、魂を揺さぶられて帰ってきました。わたしたちも、被災地の人々の姿に学びたいと思います。神戸で生活している限り、津波に呑まれて全てを失うということはまずないでしょう。しかし、わたしたちも日々の生活の中でイエスと同じように人々の悪意や憎しみ、嫉妬などの大きな力に飲み込まれそうになることがあります。また、突然に訪れる病気や事故という名の津波、少しずつ押し寄せて身体の自由を奪っていく老化という名の津波もやってきます。翻弄され、自分の無力さに絶望し、全てを投げ出したくなるときさえあるかもしれません。
 そんなとき、わたしたち1人1人に神が与えてくださった使命、親として、夫や妻として、医者や看護士、教師、会社員として、修道者や司祭としてのそれぞれの使命を思い起こしたいと思います。大きな力に翻弄され、無力な姿を晒しながらも最後までその使命を果たしぬくとき、わたしたちを通しても「神の子」の尊厳がこの地上にまばゆい光を放つことでしょう。
※写真の解説…大槌町役場の前で、祈りを捧げる高校生たち。