【マザー・テレサQ&A】


マザー・テレサQ&A
 昨年、川崎市カリタス小学校マザー・テレサについてお話したのですが、あとから子どもたちのすばらしい感想文とたくさんの質問が教会に送られてきました。質問が多すぎて全部にはとても答えられないのですが、その中のいくつかに答えてみようと思います。皆さんの知らないマザーの意外な一面が、浮かび上がってくるかもしれません。
マザー・テレサの本名はなんですか?
…生まれたときの名前は、アグネス・ゴンジャ・ボワジュです。18歳でシスターになったとき、もとの名前の代わりに、テレサという名前を使い始めました。シスターとして新しく生まれ変わったしるしに、新しい名前を使ったということです。一生を神様に捧げる誓いを立て、一人前のシスターになったときから、敬称である「マザー」がついて、マザー・テレサになりました。
マザー・テレサが好きだった聖書の言葉は?
…「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ福音書25章40節)というイエス様の言葉が大好きでした。貧しい人になにかよいことをしてあげたら、それはイエス様にしてさし上げたのと同じだということですね。
マザー・テレサはどんな国に行ったのですか?
…世界中の国と言っていいでしょう。アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ケニヤ、ブラジル、アルゼンチン、中国、韓国、フィリピン、オーストラリアなど、数えたらきりがありません。日本にも3回来ています。マザーは、「そこに助けを必要としている貧しい人がいるなら、月にでも行きます」とよく言っていました。
マザー・テレサと会ったとき、マザー・テレサは何歳でしたか?
…わたしがマザー・テレサとはじめて会ったのは1994年5月のこと。マザー・テレサは83歳、わたしは23歳でした。最後に会ったのは1997年5月のこと。マザー・テレサは86歳、わたしは27歳でした。マザー・テレサは、その年の8月26日に87歳の誕生日を迎え、9月5日に87歳で天国に召されました。
マザー・テレサは、毎日どんなものを食べていたのですか?
…インドの貧しい人たちとおなじものを食べていました。チャパティーという厚いクレープのような食べ物、ナンという種なしのパン、細長いお米などが主食で、カレーや野菜炒め、ゆでたジャガイモなどと一緒に食べていたようです。日本のお味噌汁と同じで、インドの人は毎日のようにカレーを食べます。
マザー・テレサの好きな食べ物はなんですか?
マザー・テレサは、チョコレートが大好物でした。マザー・テレサが通っていた歯医者さんが、チョコレートを食べすぎて虫歯にならないようマザー・テレサに注意したことがあるそうです。また、病気になってベッドで寝ていたとき、世話をしてくれた若いシスターにマザー・テレサがチョコレートをあげたという話も聞きました。マザー・テレサは、シスターたちにあげるためのチョコレートを、ベッドの枕の下に入れていたそうです。自分でも、こっそり食べていたのかもしれませんね。
マザー・テレサは何ヶ国語を話せたのですか?
マザー・テレサの両親は、アルバニアからマケドニアに引っ越してきた移民でした。なので、家ではアルバニア語を話していたようです。学校や教会では、マケドニアの言葉であるセルボ・クロアチア語を話していました。18歳で修道会に入ってからは、修道会の公用語である英語、そしてカルカッタの人たちが話すベンガル語を話していました。少なくとも4ヶ国語ができたことになりますね。
■インドに貧しい人は何人くらいいるのですか?
…どんな人を「貧しい人」と呼ぶかによって答えがちがうので、むずかしい質問です。インドの人口は約12億人。そのうちの3分の1が毎月1000円以下のお金で生活しているといいます。その人たちを「貧しい人」というなら、4億人が貧しいということですね。マザー・テレサは日本も「貧しい国」だと言いました。道端でたおれている人を無視してとおりすぎる人たちを見たからです。心に愛がない、つまり心が貧しいということでしょうね。日本には、何人くらい貧しい人がいるでしょう?
■世界で一番貧しい国はどこですか?
…これも難しい質問ですが、国民の1日の収入が1ドル(100円以下)という国はアフリカに集注しています。資源や領土をめぐる戦争があったり、天候が悪くなって農作物が実らなかったり、さまざまな理由から、貧しくなってしまうのです。
■「死を待つ人の家」には、いつも何人くらいの人がいましたか?
…「死を待つ人の家」は男女、それぞれ50ずつベッドがありました。いつもいっぱいだったので、100人くらいはいたと思います。一番多かったのは、何週間も食事ができなくて、餓死しかけて運ばれてきた人でした。結核など重い病気の人もいました。運ばれてきた人の4分の1くらいの人が天国に行き、残りの人は薬や注射、おいしい食事でよくなって町に帰ってゆきました。
■インドの貧しい人たちは、どんな仕事をしているのですか?
カルカッタでは、人力車を引いたり、荷車を使って荷物を運んだり、自分の頭や肩に乗せて荷物を運んだりする仕事が多いと思います。人力車は、親方のところに行って借りて、1日の売り上げの半分を使用料として親方に払います。どの仕事も体が丈夫でないとできませんから、病気になったらたいへんです。たちまちお金がなって、食べるものがなくなり、病気と飢えで死んでしまかもしれないからです。もちろん、お医者さんに行くお金もないのです。
マザー・テレサのお母さんは、いろいろためになることをマザーに教えましたが、シスターだったんですか?
…シスターになると結婚したり、子どもを生んだりできないので、マザーのお母さんはシスターではありません。ですが、とても立派なカトリック信者でした。毎日のように教会に行ってお祈りし、貧しい人たちの家を訪ねてパンを配ったり、家に訪ねてくる貧しい人たちに食事を出したりしていたそうです。
マザー・テレサの言葉の中で、一番印象に残った言葉はなんですか?
…いくつか、とても印象に残る言葉があります。「わたしは神の手の中の鉛筆に過ぎません。神が考え、神が描くのです。」これは、お話ししたとおりで、自分の思ったとおりではなく、神様の思った通りに生きるということです。謙遜な心、委ねる心、あきらめない心、鉛筆の心を忘れないようにしましょう。
「何か大きなことをする必要はありません。小さなことに、大きな愛をこめなさい。」 神様は、わたしたちがしたことではなく、わたしたちがそこにこめた愛を見ています。どんなに立派なことをしても、自分が有名になったり、お金持ちになったりするためなら神様は喜びません。逆に、どんなに小さなことでも、そこに大きな愛がこめられていれば神様は喜ぶのです。たとえば、毎日みなさんのために大きな愛をこめてお弁当を作ってくれるお母さんは、世間からほめられることがなくても、神様をとても喜ばせています。
「愛の反対は、憎しみではありません。無関心です。」 愛の反対というと怒りや憎しみを思い浮かべますが、マザーはそうではないといいます。愛の反対は、相手を完全に無視することだというのです。怒ったり、憎んだりしているうちは、まだ仲直りすることもできますが、無視してしまえばもうどうにもなりません。一番こわいのは、無関心なのです。
■自分の人生は自分で決めるものではないのですか?
…「神の手の中の鉛筆」であるわたしたちは、自分の人生という大きな絵の完成図を知りません。ですから、自分が描きたいように描けば、絵はでたらめになってしまいます。画家である神様が決めて下さった方向に進んでいくときにだけ、わたしたちは人生の絵を美しく描くことができるのです。人生を1枚の美しい絵にするため、幸せな人生を生きるためには、「神の手の中の鉛筆」として神様の御旨のままに生きると決心するのが一番なのです。
マザー・テレサと会って、どんな気持ちでしたか?
…うれしくて、うれしくて仕方がありませんでした。叫びたいような、スキップしたくなるような、そんな気持ちでした。わたしの人生の中で、一番しあわせな瞬間だったと言っていいでしょう。なにしろ、あのマザー・テレサが目の前にあらわれたのですから。
マザー・テレサから神父になれと言われたとき、どんな気持ちでしたか?
…それまで神父になることはまったく考えていなかったので、とてもおどろきました。神父になるのは、なかなか難しいことなのです。財産を持つことも、自由に行動することも、結婚して家族を持つこともできなくなるのです。でも、マザー・テレサが言うことだから、もしかしたら神様がわたしをそちらに呼んでいるのかもしれないと思ったので、そのときから神父になることが本当に神様の御旨なのかどうか真剣に考えるようになりました。いまでは、神父になって本当によかったと思っています。人間は、神様の御旨のままに生きるときにだけ、本当に幸せになれるのです。
マザー・テレサはいまも生きていますか?
マザー・テレサの体は死んでしまいましたが、心はいまも生きています。マザー・テレサのあとをついだたくさんのシスターたちや、マザー・テレサの愛に感動し、同じ心で生きようと思った人たちの中に、マザー・テレサはいまも生きているのです。