バイブル・エッセイ(294)「人里離れた所」


「人里離れた所」
 そのとき、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。(マルコ6:30-34)
 福音宣教の旅に派遣された弟子たちが、再びイエスの周りに集まってきます。御言葉を語り、悪霊を追い出し、人々の病を癒す旅路から疲れ果てて戻ってきた弟子たちに向かってイエス「あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われました。この言葉は、弟子たちと同じように福音宣教の旅に遣わされたわたしたち一人一人にも語りかけられていると思います。
 司祭や修道者は年に一度、文字通り「人里離れた所」にある黙想の家に行き、自分たちだけでイエスと共に過ごす時間を与えられます。派遣された働きの場所を離れてイエスのもとに戻り、疲れた心を御言葉によって癒しいてただくための、また自分自身の姿を神様の視点から見つめなおすための、とても大切な時間です。
 例えば、ある司祭は黙想会の祈りのあいだに「たくさんの行事を行い、人を集めて教会を盛り上げようとしたのに、かえって信徒が教会から離れていく」という悩みをイエスに打ち明けました。すると、その司祭の心に「あなたの使命は一人ひとりの魂を救うこと。世間的な成功に心を惹かれて、信徒を疲れさせてはならない」という声が響いたのです。教会に戻ったその司祭は、教会を大きくすることよりも、一人ひとりの信徒の救いを第一に考えて、力強く宣教に当たるようになりました。
 またある修道者は、霊的指導司祭に「こんなに頑張っているのに、信徒が誰も大切にしてくれない」という不平をこぼしました。すると年老いた霊的指導司祭は一言「あなたは、どれだけ信徒を大切に思い、信徒のために祈っていますか」と答えたのでした。教会に戻った司祭は、不平をこぼす前にまず信徒の気持ちを察し、信徒のために祈る修道者になりました。
 このように、少し離れて自分の姿を見つめなおし、御言葉に癒されて力強く派遣されるためには、「人里離れた所」に退く時間がどうしても必要なのです。社会の中で忙しく働き、また家事をこなす信徒にはそんな時間は取れないと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、「人里離れた所」は遠いところにあるとは限りません。たとえ自分の家の中であったとしても、自分とイエスだけで過ごせる時間と場所を見つけることができれば、そこが「人里離れた所」なのです。
 先ほどの司祭たちに響いた言葉は、きっと皆さんにも同じように与えられる言葉だと思います。「あなたの使命は、家族一人ひとりの魂を救うこと。世間的な成功に心を惹かれて、家族を疲れさせてはいけない」、「あなたは、どれだけ家族を大切に思い、家族のために祈っていますか」、「人里離れた所」でわたしたちの心の深みに響く、このようなイエスの言葉に耳を傾けたいと思います。
※写真の解説…「人里離れた所」にある民家。長野県、軽井沢町にて。