バイブル・エッセイ(821)神のことを思う


神のことを思う
 そのときイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」(マルコ8:31-35)
 受難と死を予告するイエスを、ペトロがいさめたと書かれています。きっと、「そんなことを言ったら、人から誤解されますよ」などと話したのでしょう。そんなペトロに向かって、イエスは、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と言いました。大切なのは、人からどう思われるかではなく、神様のみ旨にかなっているかどうかだと言うのです。
 行動に迷ったとき、わたしたちはつい、「こんなことをしたら、人からどう思われるだろうか」と考えてしまいがちです。自分がしていることが神様の目にどう映っているのか。神様の前でどんな意味を持つのかとは考えずに、つい身近な人たちからの評価を気にしてしまうのです。たとえば、わたしはいま新しい本の準備をしているのですが、ついつい、「ここはこうしたほうが売れるのではないか」「こんな書き方をした方が、好感を持ってもらえるだろう」などと考えてしまうことがあります。まさに、「人間のことを思っている」状態です。もちろん、読む人たちに配慮することも大切ですが、何よりもまず考えるべきなのは、自分が書いているものが、神様のみ旨にかなっているかどうかでしょう。「この本を出すことは、神のみ旨に適っているのか」、「書いていることは、神様の本当の想いをゆがめていないか。神様の愛を、まっすぐに伝える言葉になっているか」、そのようなことこそ、まず考えるべきことなのです。どんなに世間に評価される本であっても、神様のみ旨にかなわないものであれば、出版する意味がありません。「神様のみ旨にかなったものであれば、神様がすべてをよくしてくださる。何も心配することはない」。そのように考えるのが、「神のことを思う」生き方なのだろうと思います。
 サタンは、わたしたちがとっさに神様のことよりも、人間のことを思うように仕向けます。なぜなら、人間のことを思うとき、わたしたちの心は心配や恐れに取りつかれるからです。「ああなったらどうしよう」「こうなったら困る」と先のことを心配させる。周りの人達に対して猜疑心を抱かせ、苛立ちや憎しみ、争いによってわたしたちを滅ぼす。それがサタンの作戦なのです。この作戦に陥らないために最も有効な対策は、どんなときでも真っ先に「神様は、わたしに何をすることを望んでおられるのだろう」と考える習慣を身に着けることでしょう。神様のみ旨のままに行動し、すべてを神様の手の中に委ねるとき、あらゆる心配や恐れは消え去ります。「神様のみ旨であれば、神様がすべてをよくしてくださる。何も心配がない」と考えられるようになるからです。人間のことを思わず、まず神のことを思う。そのことを習慣にできるように祈りましょう。