【フランシスコ教皇就任、続報】


フランシスコ教皇就任、続報
■初アンジェラス・メッセージから■
3月17日に行われたアンジェラスの祈りでのメッセージの抜粋です。
「兄弟姉妹の皆さん、神の顔は忍耐強く、慈しみ深い父の顔です。神がどれだけ私たち一人ひとりを辛抱強く待ってくださっているか考えたことがありますか。それが神の慈しみです。神はいつも忍耐強く、私たちに付き合い、理解し、待ってくださいます。私たちが悔い改めた心で戻ることができるなら、神はゆるすことをあきらめません。」
「1992年に行われた、ファティマのマリア像の到着を記念する大きなミサのときのことです。私は告解を聞いていましたが、ミサの終わりごろ、堅信式に向かうために立ち上がりました。するとつつましやかな老婦人が近づいてきました。80歳以上だったでしょう。わたしは『おばあちゃん、告解したいんですか?』と尋ねました。彼女が『ええ』と言ったので、私は『もし罪を犯していないならば…』と言いかけましたが、彼女は『私たちは誰でも罪があります。神はすべてをゆるしてくださいます』と確信をもって言います。私は『なぜ神が許して下さるとわかるんですか?』と尋ねました。すると彼女は『もし神がすべての罪を許して下さらなかったなら、世界は存在していなかったでしょう』と答えました。わたしは感動して『あなたはグレゴリアン大学で勉強したんですか?』と言いました。なぜなら、それは聖霊が与える内的な知恵だったからです。」
「神が私たちをゆるすのをあきらめることはありませんが、私たちはときどきゆるしを願うのをあきらめてしまいます。あきらめてはいけません。神はいつもゆるしてくださる方、私たち一人ひとりのために慈しみを持っておられる方です。」
キリスト教の諸教会、諸団体、諸宗教の代表者への挨拶から■
3月20日に行われたキリスト教の諸教会、諸団体と諸宗教の代表者への挨拶の抜粋です。
ベネディクト16世が始めた信仰年が、すべての人の信仰の旅を励ますよう願います。それはすなわち、すべてのキリスト教徒にとって本質的なものである、神の子であり、私たちの救いのために死に、復活されたイエス・キリストとの、親密で、私たちを変える交わりに向かって歩む巡礼の提案でもあります。この永遠の信仰の宝を同時代の人々に告げるための努力こそ、第二バチカン公会議の中心的なメッセージなのです。」
「思いにおいて、言葉において、行いにおいて、神の御旨に忠実であればあるほど、私たちは本当に、しっかりとに一致に向かって歩んでいくでしょう。私としては、前任者と同じように、エキュメニカルな対話を進めていきたいと強く望んでいます。」
カトリック教会は異なった宗教的な伝統に属する人々との友情と尊敬を促進することの大切さを知っています。恵まれない人々のため、弱く苦しんでいる人々のため、正義を促進するため、和解を進めるため、平和を実現するために、私たちには一緒にできることがたくさんあります。何よりも、私たちはこの世界のただなかにあって、絶対的なものへの渇きを生きるものとならなければなりません。そして、人間を一面的に評価する見方が広がるのをゆるしてはなりません。その見方によれば、人間はその人が生産し消費する物に還元されてしまいます。それこそ、私たちの時代における最大の脅威の一つです。」
「神を、あらゆる神的なものを人間の地平から消そうとする試みによって、たくさんの暴力が引き起こされてきました。私たちはこの社会にあって、人間の心に固有の、超越に対する根源的な開けを証する必要を感じています。このことにおいて、特定の宗教的伝統に属していなくても真理、善、神の美を探求する必要を感じている人々、人間の尊厳を守るための努力、平和的な共存の実現、そして被造物を守る活動における尊い仲間たちにも親しみを感じます。」
※「超越的なものに対する根源的な開け」…イエズス会神学者、カール・ラーナーの用語で、すべての人間の心には超越的なものへの憧れがあり、その憧れは超越的なものによってしか満たされないということを意味しています。キリスト教の言葉で言えば、人間の心には神の愛への渇きがあり、その渇きは神の愛によってしか満たされないということです。