【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
1月8日(水)一般謁見
「洗礼は、新たな輝かしい希望を私たちに与え、私たちを変えました。すべての人々、特に貧しい人々に、救いをもたらす神の愛を運ぶための力を与えられたのです。教会の宣教の使命を分かち合う、福音の宣教者とされたのです。」
1月9日(木)朝のミサ
キリスト教的な愛は、気前がよく、具体的なものです。夢のようにロマンチックな空想でも、メロドラマに出てくるような愛でもありません。イエスが愛を語るときには、お腹を空かせた人に食べ物を与える、病人を訪ねるなど、具体的なことを語ります。」
「愛を具体的なものにするために、2つのことを覚えておきましょう。愛は言葉ではなく行動だということ。そして、愛においては、受け取るよりも与えるの方が大切だということです。愛さない人はいつでも受け取ろうとしますが、愛する人は与え尽くします。」
1月10日(金)朝のミサ
「水で薄められた希望しか持たないキリスト教徒がたくさんいます。彼らは、主を信頼する力と勇気を持っていないのです。信仰を告白し、守り、自分自身を神に委ねるなら、私たちはキリスト教的な意味での勝者になれます。その勝利は、この世に打ち勝つものです。」
1月11日(土)朝のミサ
「司祭として自分の生涯を捧げた司祭について、人々はこう言います。『そう、彼は気難しいし、あれやこれやの欠点がある。だが、彼は司祭だ。』しかし他方で、司祭でありながら、イエスの代わりに小さな偶像を持っている司祭、自己崇拝に陥っている司祭について人々はこう言います。『あわれな奴だ。』」
1月13日(月)朝のミサ
「私たちの理性は、『たくさんの人々のことを考えなければならない神が、どうして私のこととなんか考えてくれるだろう』と言います。しかし、神は母や祖母、父や祖父、先祖たちを通して、私たちのために道を準備して下さったのです。主の愛は、真実であり、永遠であると同時に一人一人に合ったものなのです。」
教皇様のツイート■
1月9日(木)
「貧しさの中にお生まれになった、神の子の謙遜さを思いましょう。小さくされた人たちと同じ立場に身を置くことで、イエスにならいましょう。」
1月10日(金)
ベツレヘムで生まれた幼子イエスの前に立ち止まり、神の優しさによって心を暖めていただくことができますように。」
1月11日(土)
「お年寄りが、私たちの家庭で『流浪の民』のようになるべきではありません。お年寄りは、私たちの社会の宝なのです。」
1月13日(月)
「主は、私たちの心のドアをノックしています。私たちはドアに、『Do not disturb(邪魔しないで下さい)』の札をかけてしまったのでしょうか?」
1月14日(火)
「神への感謝、特に忍耐づよさと慈しみへの感謝をこめて、いつも神に『ありがとう』と言えますように。」
※写真…早朝の山中湖半にて。