祈りの小箱(27)『どれほど悪口を言っても』


『どれほど悪口を言っても』
 どれほど気をつけていても、ついつい口から出てくる人の悪口。悪口をまったく言わない人は、それだけで聖人だと思えるくらい、舌をコントロールするのは難しいことです。でも、なぜ悪口を言ってしまうのか、その理由を考えると舌のコントロールがちょっとやさしくなるかもしれません。
 悪口の一つの目的は、人の悪口を言うことによって自分の正しさを証明しようということです。例えば、誰かから批判され、プライドを傷つけられた。そんなときわたしたちは陰でその誰かについて「あの人だって〇〇だよね」とか、「あの人は仕事がぜんぜんわかってないんだよ」とか、そんな悪口を言ってしまいがちです。それは、悪いのは自分ではなく、相手だということを周りの人に言い聞かせ、自分自身にも言い聞かせることによって傷ついたプライドを回復するためです。悪口を言うことによってわたしたちが本当に言いたいのは「自分は絶対に正しい。あの人は完全に間違っている」ということなのです。
 ですが、そんなことをして自分の正しさを証明することができるでしょうか。最初は黙って悪口を聞いてくれていた周りの人も、何度も聞いているうちにきっと嫌な気分になって、あなたに失望するに違いありません。それでは、自分が間違っているのを自分で証明しているようなものです。悪口を言うとき、実はわたしたちは心のどこかで自分が間違っているのを知っていながら、それを否定するために相手を悪者に仕立て上げようとしているのかもしれません。間違いを棚に上げて、自分を絶対化しようとする必死の試み、それが悪口なのです。
 どんなに悪口を言っても、人の目をごまかすことはできないし、ましてや神様の目をごまかすことはできません。神様は、すべてを知っておられます。自分自身を謙虚に省みて、間違っているならば素直に反省する。批判がまったく見当違いで、自分は神様の前にも正しいと心から思うならば何も言わない。それで十分でしょう。自分の心にやましさがあり、正当化する必要があると思うからこそ悪口が出てくる。悪口を言いたくなったら、そのことを思い出して舌にブレーキをかけましょう。 
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