フォト・ライブラリー(370)カリタスジャパン原町ベース訪問・後半〜飯舘村/南相馬

カリタスジャパン原町ベース訪問・後半〜飯舘村/南相馬

国道12号線福島市から南相馬市に向かう途中、かつての警戒区域飯舘村を通りました。現在も村の大部分が居住制限区域に指定されており、人影はまったくと言っていいほどありません。誰もいない村役場の玄関先で、タンポポたちが元気よく花を咲かせていました。

冷たく澄んだ空の青。かつて「東北のスイス」とも呼ばれていた飯舘村は、本当にすばらしい自然に恵まれています。

村役場の前に置かれた村歌の記念碑。村人たちがまたここに集い、「おおらかな夢」を歌う日がいつか来ることを心から祈ります。

峠を抜けて南相馬に入り、海岸部の瓦礫処理場を見学しました。津波で破壊された車が一ヵ所に積み上げられていました。響き渡る重機の音が、復興への足音に聞こえます。浪江町では、まだ聞くことができない音です。

うず高く積み上げられた瓦礫の山。かつては人々が行き交った「街」の残骸です。

今回お世話になったカリタスジャパン原町ベース。たまたま、東京の山谷から来た「神の愛の宣教者会」のボランティアたちと一緒になりました。20年来の友人たちと、まさかここで再会するとは思いませんでした。一昨年、カルカッタでご一緒したボランティアの方とも再会することができました。

原町ベースは、かつての緊急時避難準備区域、原発から約25キロの地点にあります。ベースの近くで見かけた菜の花。優しい黄色に元気づけられます。

カトリック原町教会とお隣の幼稚園。除染が進んで園は再開されましたが、経営はとても難しいとのことでした。

2年ぶりに訪れたカトリック原町教会。すっかり修繕されてきれいになったお御堂で、朝のミサを立てさせていただきました。こんな日が来るとは、まるで夢のようです。

街のあちこちに置かれたこの施設。ソーラーパネルが作る電気で動く、放射線線量計です。

毎日、線量を確認しながら生活しなければならないこの状況。住民のみなさんは、きっと大きなストレスを感じておられることでしょう。

ボランティアで訪れた小高区の民家。避難中に生えた灌木や笹、雑草などの処分がボランティアたちの主な仕事です。わたしも鎌を片手にお手伝いしましたが、使い慣れていないせいか、ちょっと刈るとすぐに手がしびれてしまって情けなかったです。

ベテラン・ボランティアたちの手際のよい作業で、敷地がみるみるきれいになっていきます。お年寄りだけで住んでいる家が多いこの地域では、家の片付けにボランティアの手が欠かせません。

原発から20キロ圏内にも、少しずつもとの暮らしが戻りつつあります。「心配はありませんか」と地元のおじいさんに尋ねると、「放射能が危険かどうかなんて、誰にもわかんね」との答えが返ってきました。それが偽らざる実感なのでしょう。

のどかな田園の風景の中に現われた長大な白い壁。この向こう側に、除染によって発生した低濃度放射性廃棄物の「仮の仮置き場」が設けられています。「仮置き場」として貸しても、中間処分施設ができない限りそこが実質的な中間処分施設になってしまうという理由で、「仮置き場」さえ設けられない地域が多いのが現実。地元の方がここは「仮の仮置き場」と念を押すのは、それを心配してのことでしょう。

福島の人々の喜びと悲しみに寄り添うため、「マリアの宣教者フランシスコ会」はこの4月から南相馬修道院を開設しました。避難によって勉強が遅れた子どもたちの学習支援、お年寄りのためのお茶会などをして、地域に密着した奉仕活動をしておられるとのことでした。不屈の宣教者精神に、ただただ頭が下がります。

今回の訪問を通して、福島の皆さんが直面している問題の深刻さをあらためてしみじみと感じました。この限界状況にあって、どんな決断を下し、どちらの方向に進むのが最善なのか。地元の皆さんの苦しみにできるかぎり寄り添いながら、ケース・バイ・ケースで一番よい解決を見つけていく以外にないでしょう。これらかも福島との連絡を密接に取りながら、わたしたちにできることを模索していきたいと思います。