【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
6月6日(木)朝のミサ
「『神を信じます。神は唯一の神です』と言うだけでは不十分です。人生の旅路の中で、あなたはその信仰をどのように生きていますか。『神は唯一の神です。他に神はありません』と言いながら、他の神々(世俗の価値観)を崇めているかのように生きている場合もありえます。」
6月7日(金)朝のミサ
「神は、言葉によって私たちを愛するのではありません。神は近くにやって来て、私たちを優しく愛するのです。神は私たちを、近さと優しさという2つのやり方で愛するのです。これこそが、神の愛の力強さです。」
「神を愛するよりも、神から愛される方が難しい。これは異端のように聞こえるかもしれませんが、まぎれもない真実です。神の愛にこたえて神を愛する一番の方法は、わたしたちの心を開き、神から愛されることです。神が私たちに近づくのをゆるし、神の存在を近くに感じましょう。」
6月7日(金)イタリア・アルバニアイエズス会学校の子どもと教師たちへのメッセージ
「聖イグナチオの教えによれば、学校で一番大切なのは、広い度量を身につけることです。それは、大きな心を持つということであり、偉大な精神、壮大な理想を持つということです。それは、神の求めにこたえて大きなことを成し遂げたいという望みであり、同時に、日々の生活の中で、神と人々に開かれた大きな心であらゆる小さなことを行うということです。」
「イエスをもっと愛しましょう。私たちの人生はイエスの招きへのこたえであり、その招きにうまくこたえる方法を知っていれば、すばらしい人生を築き上げることができるでしょう。生活の中で、主の存在を感じましょう。イエスは、仲間として、友だちとして、あなたたちのそばにおられます。」
「教育とは、仕事ではなく態度であり、生き方です。教育するためには、自分から抜け出して若者たちの中にとどまる必要があります。成長の各段階で子どもたちに同伴し、彼らの傍らに寄り添うのです。彼らに、創造主の痕跡を残した被造物と人間の美しさ、善さを見るよう教えるのです。」
6月7日(金)聖霊刷新運動グループへのメッセージ
「戒めという言葉は、ファッショナブルではありません。現代人には、否定的な意味や、自由を制約し、人生を邪魔しようとする何者かの意思を感じさせます。ですが、十戒は、私たちを愛のために創造された神、人類と親しく結ばれた神、人間のためによいことだけを望まれる神からのものです。神を信頼しましょう。」
6月8日(土)朝のミサ
「マリアはこれらのことを『心に納め』ました。神の言葉を『納める』とはどういうことでしょう。言葉を受け取ってボトルに入れ、しまっておくということでしょうか。そうではありません。神の言葉を『納める』とは、大地が開いて種を受け止めるように、心を開いて神の言葉を受け止めるということです。」
6月9日(日)アンジェラス
「民間の信心業は、シンボルをとても大切にします。『イエスのみ心』は、神のいつくしみの究極のシンボルです。ですが、それは想像上のシンボルではなく、実在するシンボルです。全人類の救いが流れ出す源泉を表すものなのです。」
※「実在するシンボル」…イエズス会神学者、カール・ラーナーが提唱した概念。シンボルであると同時に、シンボライズされるものがそこに実在するようなシンボルのこと。
6月10日(月)朝のミサ
「なぜ私たちは救いに心を閉ざすのでしょう。それは、救いを恐れているからです。もし、私たちを救うために主がやって来られれば、私たちは全てを差し出さなければなりません。主が支配するのです。私たちはそれを恐れています。自分で自分をコントロールしたいからです。」
6月11日(火)朝のミサ
「貧しさと神を讃美する力、この2つこそが無償の愛を生きる使徒たちの証です。もし豊かな教会を作りたい、無償で讃美するのを止めた教会を作りたいと願う使徒がいれば、教会は古くなり、1つのNGOになり、命のないものになってしまうでしょう。」
教皇様のツイート■
6月7日(木)
「消費主義によって、私たちは浪費に慣らされてしまいました。ですが、食べ物を捨てるのは、それを貧しい人々や飢えた人々から盗み取っているようなものです。」
6月9日(日)
「『浪費の文化』に慣れてしまうと、もはや、人間の命は尊敬され、守られるべき第一の価値と見なされなくなります。」
6月11日(火)
「連帯することを恐れてはなりません。むしろ、私たちが持っている全てのもの、そして私たちそのものを、神様に差し出しましょう。」
6月12日(水)
「神を否定し、神がいるべき場所にたくさんの偶像を据えたことで、私たちはいま、どれだけの倫理的貧しさ、物質的貧しさに直面していることでしょう。」
※写真…神戸・青谷、マリアの宣教者フランシスコ会修道院のフランシスコ像。