【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教、メッセージから■
1月31日(金)朝のミサ
「『神の国』が小さくなるとき、その一つのしるしはあなたが罪の意識を失うことです。あなたは『神の国』を意識しなくなり、その代わりに自分は何でもできると信じ込む、強力な人間主義が登場するのです。」
2月4日(火)朝のミサ
「父親たちにとって最も大切なのは、息子であり娘なのです。他の何ものでもありません。信仰宣言の中で、『父である神を信じます』と神に向かって真っ先に言うのはこのためです。神が父であることを思い出すためなのです。」
2月4日(火)四旬節メッセージ
「神は、博愛精神や憐みによって豊かな富の中から施しをする人のように、私たちの救いを天から降らせるようなことはしませんでした。イエスヨルダン川の流れに足を踏み入れ、洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのは、私たちの罪の重荷を背負うためだったのです。神は、このようにして私たちを慰め、救い、惨めさから解放することを選ばれました。」
四旬節は、自分を放棄するのにふさわしいときです。人々を助け、豊かにするために何を手放すことができるか自分自身に尋ねてみたらいいでしょう。本当の貧しさは、痛みを感じるものだということを忘れてはいけません。何ものも失わず、何の痛みも感じない愛を私は信頼しません。」
2月6日(木)世界青年の日メッセージ
「イエスの真福八端は、新しく、革命的なものです。世俗的な考え方は、神が人間の1人となり、十字架上で死んだことをスキャンダルと見なします。この世の論理では、イエスが『幸いなるかな』と告げた人々は、役立たずであり、『敗者』です。栄光を与えられるのは、犠牲の上に成り立つ成功、富、権力の傲慢、人々を犠牲にして行う自己実現なのです。イエスは、どちらの道が正しく、喜びにつながるか、選ぶよう促しています。」
「主は、貧しい人々に福音を伝える、貧しい教会を望んでおられます。福音的な貧しさは、神の国を広げるための基本的な条件です。私がこれまでの人生で見た最も美しく、自然な喜びの表現は、頼るべき物をほとんど持たない貧しい人たちによるものでした。私たちの時代における福音宣教は、人から人へと伝わっていく喜びによってのみ実現するでしょう。」
教皇様のツイート■
1月31日(金)
「誰も、自分で自分を救うことはできません。共同体が不可欠です。」
2月1日(土)
「ときおり、私たちは自分の罪の重みに打ちひしがれることがあります。くじけることがありませんように。キリストはこの重荷を取り上げ、平和を与えるために来られたのです。」
2月2日(日)
「『世界奉献生活者の日』が、イエスこそ私たちの人生の中心であることを再発見するためのよい機会になりますように。」
2月3日(月)
「信頼できる友だちを持つのはとても大切なことです。しかし、一番大切なのは、私たちを決して裏切らない主を信頼することです。」
2月4日(火)
「親愛なる若者たちよ、イエスは私たちに命を与えて下さいます。しかも、豊かに与えて下さいます。もしイエスに近づくなら、心には喜びが与えられ、顔には笑顔が浮かぶでしょう。」
2月6日(木)
「世間は私たちの目を、自分自身や自分の持ち物、自分の欲望に向けさせようとします。福音は私たちを、他者に向かって心を開き、貧しい人々と分かち合うよう招きます。」
※写真…山中湖半から見た赤富士。