イエスこそメシア
イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた。そこでイエスは、「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは答えた。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。」(ルカ9:18-24)
イエスこそメシアだと告白する。それは、イエスこそがわたしの救い主であり、イエスを離れてはいかなる意味でも幸せではありえないと告白することに他なりません。イエスについてゆくためならば、自分の十字架を背負い、どんな苦しみにも耐え抜く。イエスをメシアと告白する者には、その覚悟が求められているのです。
イエスについてゆくためなら、どんな試練も乗り越えていく信仰。そのような信仰の模範が、政府による迫害に耐えて信仰を守り抜いたベトナムの教会にあるように思います。例えば、イエズス会ベトナム管区長のリェン神父からこんな話を聞きました。新政府による教会迫害が苛烈を極めた1980年代の半ば、当時まだ神学生だったリェン神父は、反政府活動の容疑で逮捕されたそうです。刑務所では毎日、過酷な労働が課せられ、食事はわずかしか与えられなかったといいます。それだけでも十分に厳しい状況ですが、リェン神父にとって一番苦しかったのは独房での孤独でした。普通の囚人は大部屋に入れられるのですが、思想犯であるリェン神父は、他の囚人に影響を与えないよう独房に監禁されてしまったのです。幅はわずか1mほど、天上はかがまなければ頭がぶつかってしまうという小さな独房。縦横20㎝ほどの小さな明かりとりの窓がある以外、中は真っ暗です。その中で一人で過ごす夜の時間は、無限に長く感じられたとリェン神父は言います。実際に、この独房に何年も閉じ込められた司祭の中には、発狂した人も何人かいるそうです。そのような苦しみを耐え抜いて37ヶ月目に、彼はようやく釈放されました。
わたしはリェン神父に、「どうしてそれほどの苦しみを耐え抜くことができたのか」と尋ねました。すると彼は、とても穏やかな笑顔を浮かべながら、「イエス以外に救い主はいないからね」と短く答えました。どんな政府がやって来ようが、自分にはイエス以外の救い主はいない。イエスに従うためならば、どんな苦しみにも耐え抜いてみせる、ということでしょう。リェン神父にとって、イエスはまさにメシアだったのです。
彼らが命がけで守り抜いた信仰が、いま、宗教活動の自由化が進んだベトナムで大きな実を結んでいます。すべてが移り変わっていく社会の中で、何があっても決して揺らぐことのない「イエスこそメシア」という信仰が人々の大きな心の拠り所になっているのです。ベトナムの教会は、どこに行っても人であふれ、活気に満ちています。イエズス会への志願者は毎年数十人おり、その中から15〜20人が入会を許可されるそうです。ホーチミン市の郊外にある大神学院では、現在67人もの神学生たちが将来のミッションのために懸命に勉強を続けています。ベトナムの教会は、長い迫害の十字架を越えて、今まさに復活の栄光に移りつつあると言っていいでしょう。
わたしたちは、「イエスこそメシア」、「イエスこそキリスト」と日々告白していますが、その告白にふさわしい生き方をしているでしょうか。イエスこそが唯一の救い主と告白しながら、お金や権力、名誉などに救いがあるかのように振る舞っていないでしょうか。世俗の価値観の誘惑に対して、わたしたちはどんなときでも「イエスこそメシア。イエス以外に救いはありません」とはっきり答えたいと思います。その結果、貧困を強いられたり、侮辱されたり、さまざまな迫害にあうかもしれません。ですが、そのような迫害は、イエスへの愛ゆえに乗り越えられるとき、わたしたちの信仰が真実であることのまぎれもない証拠に変えられていきます。ベトナムの教会に倣って、わたしたちも社会の中で「イエスこそメシア」と力強く証する教会になっていくことができるよう、そのための恵みを神に願いましょう。イエスについて行くためならどんな十字架も喜んで担う信仰、どんなときにも揺るがぬイエスへの愛が、わたしたちにも与えられますように。
※写真…ホーチミン市郊外の教会で見かけた、「十字架の道行」。