祈りの小箱(218)『愛ゆえの苦しみ』


『愛ゆえの苦しみ』
 誰かを愛するということには、いつも大きなリスクがあります。相手のために自分を差し出したとしても、相手から受け入れてもらえない可能性があるのです。それは、恋愛ということだけでなく、誰かに親切にするとか、優しい声をかけるとか、愛に基づくすべての行いに当てはまることです。ですが、リスクがあるからと言って愛することをやめてしまえば、一生、愛の喜びを味わうことはできません。愛とは常に、相手に受け入れてもらえない危険性を覚悟の上で、相手に自分を差し出してゆく決断なのです。
 深い愛で結ばれたはずの相手が、突然、愛を受け入れてくれなくなることもあります。最愛の配偶者、あるいは子ども、友人が、突然、自分から離れてゆくこともあるのです。そんなとき、その人の愛が問われます。「相手からの見返りがないなら、愛することをやめてしまおう」ということなら、その人が愛しているのは実は自分自身であって、相手ではありません。相手を愛していたのは、相手から愛してもらうためだったのです。真実の愛は、仮に相手が愛を受け入れてくれなくなったとしても、愛で愛にこたえてくれなかったとしても、自分を差し出し続けるものなのです。それが、無条件の愛ということなのです。祈るような気持ちで差し出し続けた愛は、いつか必ず相手の心に届いて奇跡を起こすに違いありません。
 神様とのあいだでさえ、そのようなことが起こりえます。どんなに祈っても、恵みをちっとも与えてもらえないというようなことが起こりうるのです。そんなときにこそ、わたしたちの神様への愛、すなわち信仰が問われます。恵みをまったく感じられなかったとしても、自分には神様を愛する以外にないという固い決意があるかどうかが問われるのです。あきらめずに神様を愛し続けるならば、神様は必ずわたしたちの愛を受け入れ、恵みを与えて下さることでしょう。そのことを信じて祈り続ける、それが神様を愛するということなのです。
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