祈りの小箱(67)『苦しみのときは成長のとき』


『苦しみのときは成長のとき』
 大きな失敗を犯したとき、親しい人との別れのとき、耐えがたいほどの侮辱をうけたときなど、わたしたちの目からは自然に涙がこぼれ落ちます。ある感情がピークに達し、自分の中に収めておくことができないほどになるとき、その感情は涙となってわたしたちの頬を伝い落ちてゆくのです。
 涙が頬を伝い落ちるとき、わたしたちは自分の弱さを知ります。何でも自分の思い通りにできると思い込んでいた傲慢、自分は強い人間だと思い込んでいた傲慢が砕かれるのです。涙を流すほどの苦しみの中で、わたしたちは自分の本当の姿、無力で弱い自分を知ることになります。それは、とてもつらい体験ですが、同時に得難いほどの成長の機会でもあります。なぜなら、人間は、自分の弱さを知ったときにだけ成長することができるからです。
 自分は強い人間だと思い込んでいる限り、わたしたちに成長はありません。自分の弱さを知るからこそ、その弱さを客観的に見つめ直して克服することができるのです。思い込みを完全に崩し、自分の弱さを徹底的に思い知らせてくれる痛みや悲しみ、辛さは、その意味で本当に大きな恵みです。それらは、神がわたしたちの傲慢を砕き、成長させるために与えてくれた贈り物だとさえ考えていいでしょう。わたしたちは、涙を流せば流すほど、強くなることができるのです。
 涙を流すほどの苦しみを味わったのは、わたしたちだけではありません。
「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。」(ヘブル5:7-8)
 と書かれている通り、イエス御自身、涙を流すほどの苦しみの中で謙遜と従順を学び、その苦しのゆえに神の子として高く挙げられたのです。涙を流すほどの苦しみの中で自分の弱さを神に差出し、その弱さを神の力によって満たしていただくことでわたしたちは成長してゆきます。涙を流すほどの苦しみをイエスと共に乗り越えるなら、その苦しみはいつか必ず、復活の喜びに変えられるでしょう。イエスと共に乗り越えられた苦しみは、いつか必ず喜びに変えられるのです。こぼれるだけの涙を流し尽くし、自分の弱さを知り尽くしたときにこそ成長がある。その苦しみは、いつか必ず喜びに変えられる。そのことを信じたいと思います。
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