【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
9月27日(金)カテキスタへのメッセージ
「キリストを自分の人生の中心に置く人は、自分自身を中心にして生きていません。キリストとつながり、キリストを人生の中心にすればするほど、あなたたちは自分自身を捨て、自分を人生の中心から遠ざけるのです。そして、心を他者に開くのです。」
9月28日(土)朝のミサ
「十字架を恐れたのはペトロだけではありません。イエス自身も恐れたのです。イエスは自分を欺くことができませんでした。イエス自身、血のような汗を流すほど恐れたのです。ですが、イエスは『あなたの御心のままになりますように』と言いました。それが、ペトロとイエスの違いです。」
9月29日(日)カテキスタのためのミサ
「なぜ私たちは、自分のことに没頭し、物質の中に安全を求めようとするのでしょう。それは、神を忘れるからです。神を思わないなら、すべては『自分』で終わってしまいます。生命も、世界も、隣人たちも目に入らなくなり、ただ何かを『持つこと』だけを考えるようになるのです。」
9月30日(月)朝のミサ
「私たちの未来は、老人と子どもたちの中にこそあります。彼らの世話をしない人々には、未来がありません。なぜなら、その人たちは過去の記憶も、未来への約束も持っていないからです。効率主義に陥ってはなりません。記憶も約束もない教会に、未来はないのです。」
10月1日(火)朝のミサ
「愛はとても簡単なことです。神を讃美し、人々に仕えるだけなのです。そのような証だけが、教会を成長させます。謙遜で、だからこそ神を信頼し続けた小さき花のテレジアのような修道女が、宣教の守護聖人となったのはそのためです。」
教皇様のツイート■
9月26日(木)
「神のゆるしは、いかなる罪にも打ち勝ちます。」
9月27日(金)
「私たちは、自分だけでキリスト教徒になるのではありません。信仰とは、何よりもまず、教会の中で、教会を通して私たちに与えられる神からの贈り物なのです。」
9月28日(土)
「どんな結婚にも困難なときがあります。ですが、そうした十字架の体験は、同じ道を歩み続ける2人の愛の絆をさらに強いものにしてくれるでしょう。」
9月30日(月)
「憎しみと暗闇を見つけたなら、そこに愛と希望をもたらすことができますように。社会がもっと人間らしくなるために。」
10月1日(火)
「私たちは、本当に祈っているでしょうか?神との親密で、確かな交わりがないなら、キリスト教徒として真実で、一貫した生き方をすることは困難です。」