祈りの小箱(76)『弱くて、不完全な存在』


『弱くて、不完全な存在』
 人間が大自然の猛威の前にまったく無力であること、どんなに高い地位についている人でも間違いを犯すこと、たくさんの犠牲を出しながら争いをやめないこと、新聞やテレビを賑わすそれらの事実を通して、わたしたちは「人間は弱くて不完全な存在である」ということを痛感しています。一般論として、人間の力には限界があり、多くの足りない部分があるということを否定する人は誰もいないでしょう。
 ところがわたしたちは、誰かから「あなたは弱くて、不完全な人間だ」ということを指摘されると腹を立てます。人間の一人として弱くて、不完全な存在であることは明らかなのですが、それでもなぜか腹が立つのです。まるで、自分だけは弱くて、不完全な人間の例外であるかのようです。なぜこんなことが起こるのでしょう。
 一つには、プライドを傷つけられたということがあるでしょう。自分がよく知っていると思っている分野、専門家と見なされている分野での間違いを指摘されると、わたしたちは特に腹が立ちます。その分野のことは、自分が一番よく知っているし、自分が一番よく出来るという自負があるからです。ですが、現実問題として知らないことはあります。世の中は刻々と移り変わり、かつて完璧だった知識や経験もすぐに古いものになっていきます。「人間は弱くて、不完全な存在である」ということの例外でありうるほど、何かについてよく知っている人、何かをよくできる人など誰もいないのです。
 さらに根源的には、人間の原罪ということがあるように思います。原罪とは、アダムが神の知恵を手に入れ、自分自身を神のようなものにしようとしたことに由来する罪です。人祖アダム以来、人間には、自分を神の位置に置き、他の人々を見下そうとする根源的な傾向があるようです。「自分は何でもできるし、何でも知っている。他の連中はそうではない」、無意識のうちにそう考え、振る舞ってしまうのです。だから、一般論として人間として弱く、不完全であることは認められても、自分が弱く、不完全であることは認められないのです。自分だけは特別な存在だと思い込んでしまうのです。
 誰かに腹を立てたり、人を裁いたりするとき、わたしたちはほとんどの場合、自分も弱くて不完全な人間の一人だということを忘れています。腹が立つたびごとに、人を裁きたい誘惑に駆られるたびごとに、「自分も、弱くて不完全な人間の一人なのだ」と自分に言い聞かせたいと思います。
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