【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教から■
1月24日(金)朝のミサ
「対話の橋を架けることは簡単ではありません。特に、私たちが怒りによって分断されているときはそうです。聖書には書かれていませんが、柔和で謙遜な者になるためには、たくさんのプライドを飲み下さなければなりません。なぜなら、それこそが平和を築く道だからです。」
「問題が起こった後、あまり時間をおかないことが大切です。できるだけ早く、対話を始めるのです。なぜなら、時間が立てば雑草が高く伸びるように、時間は怒りの壁を高くしてしまうからです。壁が高くなってしまえば、和解は困難になります。」
1月27日(月)朝のミサ
「どれほどたくさんの聖なる司教、聖なる司祭たちが教区や小教区への奉仕に人生を捧げたことでしょう。どれほどたくさんの人々が、それら無名の牧者たちから信仰の力、愛や希望の力を受け取ったことでしょう。わたしたちは知りません。」
「『ですが、新聞で司教がこんな悪いことをしたとか、司祭があんな悪いことをしたと読みました』という人がいます。ええ、わたしも読みました。ですが、新聞はたくさんの司祭たちが、都市や田舎のたくさんの小教区でしている偉大な愛の業をニュースにしていますか。していませんね。それは、当たり前のことだからです。いつの時代にも同じです。倒れてゆく1本の木は、育ってゆく森よりも大きな音を立てるのです。」
1月28日(火)朝のミサ
「応援しているサッカーチームがゴールを決めたときには叫ぶことができるのに、主なる神に向かって讃美の歌を捧げることはできないのですか。歌うために、あなたの殻の中からちょっとだけ出てくることができないのですか。」
「神への讃美はまったく無償です。私たちは神に何かを求めて讃美するのではありませんし、神から与えられた何かのために讃美するのでもありません。ただ讃美するのです。」
1月30日(木)朝のミサ
「謙遜でない人は、教会と共に感じることができず、自分が欲することだけを感じます。謙遜さは、私たちが大いなる神の民のほんの小さな一部にすぎないことを教えてくれます。」
教皇様のツイート■
1月25日(土)
「神に何かを頼むのは簡単ですし、誰もがそうします。ですが、私たちはいつになったら、神に感謝し、神を崇めることを学ぶのでしょう。」
1月27日(月)
「親愛なる若者たちよ、なまぬるい生活に満足しないようにしましょう。真実で美しいもの、神に属するものに驚嘆する心を持ちましょう。」
1月28日(火)
キリスト教徒の一致のために祈りましょう。私たちを結びつける美しいものが、本当にたくさんあります。」
1月30日(木)
「どうやって笑ったらいいかを知らないキリスト教徒など、思い浮かべることができません。信仰を、喜びをもって証(あかし)できますように。」
※写真…イエズス会長束修道院にて。