バイブル・エッセイ(464)本物のパンと偽物のパン


本物のパンと偽物のパン
 「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」(ヨハネ6:47-51)
「わたしは命のパン。天から下って来た生きたパンである」と、イエスは言います。命のパンとは、わたしたちに生きる力を与える命の糧、神の愛に他なりません。イエスこそ生きている神の愛であり、この愛を食べるもの、感謝して味わう者は決して飢えることがないのです。
 わたしたちを欺こうとする偽物のパンに注意しなければいけません。それは、富や名誉、権力などの、この世のパンです。この世のパンは、わたしたちの人間としての欲望を一時的に満たしてくれますが、心を満たすことが決してありません。どんなに欲望が満たされたとしても、心は空っぽのまま。すぐに次が欲しくなるのです。お金を持てば持つほどもっとたくさんのお金が必要になって来るし、名誉を手に入れればもっと偉くなりたくなります。挙句の果てに、自分の分だけでは足りなくなって、他の人のぶんまで欲しがるようになります。他の人が地上のパンを手に入れれば、まるで自分の分が奪われたかのように嫉妬し、腹を立てることさえあります。偽物のパンは、わたしたちの心を満たしてくれないばかりか、地上に争いをもたらすのです。仮に暴力に訴えなかったとしても、わたしたちの心の中に誰かへの恐れや嫉妬、憎しみがあるなら、それはある意味で戦争だと言っていいでしょう。偽物のパンは、心の平和を壊し、わたしたちを戦争に巻き込んでゆくのです。
 キリストが与える本物のパン、命のパンは、わたしたちの心を満たしてくれるパンです。たくさん食べる必要はありません。ほんの一口であっても、キリストのパンを食べるならわたしたちの心は満たされるのです。感謝して、一片の御聖体を頂くだけで、わたしたちの心は満たされるのです。それは、パンの中にキリストの無限の愛が込められているからです。神の愛で心を満たされている限り、わたしたちは飢えを感じることがありません。
 このパンを味わった人は、それを人と分かち合わずにいられなくなります。このパンは、「自分のためだけに」としまっておけば、すぐに腐ってしまうパンなのです。分かち合えばなくなってしまう地上のパンと違って、分かち合えば分かち合うほど大きくなるパンなのです。分かち合うことによってのみ、その本当の味を知ることができるパンなのです。命のパンは、わたしたちの心の飢えを満たし、人々の心の飢えを満たし、この世界に平和をもたらすパンなのです。
 争いや不安しかもたらすことができない偽物のパンに欺かれた人々に、本物のパンのすばらしさを伝えてゆくことこそわたしたちの使命です。それこそが福音宣教だと言っていいでしょう。そのためには、まずわたしたち自身が命のパンに養われ、心を愛の喜びで満たしていただくことです。まずわたしたち自身の心に平和を実現し、この教会の中に平和を実現し、世界に平和を実現してゆくことができるように祈りましょう。