バイブル・エッセイ(501)イエスの声を聞き分ける


エスの声を聞き分ける
 「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」(ヨハネ10:27-30)
 「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」とイエスは言います。キリスト教徒とは、イエスと出会ってイエスを知り、その声を聞に従う人たちのことでしょう。ですが、さまざまな声が響く日常生活の中で、イエスの声を聞き分けるのは難しいこともあります。どうしたらイエスの声を聞き分けることができるのでしょう。イエスの声とはどんな声なのでしょう。
 先日、イエズス会の叙階式がありました。イエズス会では、神父になるまでにおよそ11年かかります。よほどしっかり神様の声を聞いていないと、叙階までたどり着くことは困難です。わたし自身も、およそ20年前にイエスからの呼びかけを聞き、その後に従うことを決意しました。マザー・テレサに声をかけられたことがきっかけでしたが、それがただちにイエスの声だったというわけではありません。エスの声を聞き分けたのは、霊操の祈りの中でのことでした。イエスが直接呼びかける声を聞いたことで、マザーの呼びかけがイエスからのものだとわかった、というのが実際のところです。
 霊操を始めたとき、わたしの中に聞こえていたのは人間の声だけでした。まず、「誰それがこういった」「この本にはこう書いてある」というような他人の声です。そして、「こちらの方が得だ。あちらは損だ」「待てよ、本当にこれでいいのか。一度選んだらもう取り返しがつかないぞ」というような自分自身の声が聞こえてきました。祈っているうちに、「この道を選んだら破滅だぞ」というような、悪魔の声さえも聞こえてくるようになりました。そのような声に耳を傾けているあいだ、わたしはまったく選ぶことができませんでした。あっちに行ったり、こっちに行ったりして、すっかり迷子になってしまったのです。
 迷いに迷って、霊操の最後に、聖堂で夜中まで一人で祈っていたときのことです。もう覚悟を決めて「あなたの手にすべてをお委ねします」と一心不乱に祈っていたのです。これから先の人生をコントロールすることを放棄し、人生を神様の手にすっかり委ねたそのとき、正面の十字架の方から声が響きました。それは、天から響く声であると同時に、心のいちばん奥深くから湧き上がってくるような声でした。「あなたはこの道を進みなさい」と何者かが呼びかけたのです。その声のお陰で、わたしはようやく司祭への道を選ぶことができました。自分で決めようと思っているうちは、イエスの声を聞くことができません。イエスの手に人生を委ねるとき、イエスの声が響いてくるのです。
 人間の声や悪魔の声に耳を傾けるとき、わたしたちの心は怖れと不安にかき乱されます。絶望に陥ることさえあるでしょう。エスの声を聞くとき、わたしたちの心は静かな喜びで満たされます。将来への大きな希望が生まれ、体に力がみなぎって来ます。それが、イエスの声の特徴です。人間の声、悪魔の声に迷わされることなく、イエスの声を聞き分けて永遠の命に入ることができるように、識別の恵みを祈りましょう。