バイブル・エッセイ(558)「信仰の火」


信仰の火
「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」(ルカ12:35-40)
「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」とイエスは言います。主人をすぐに迎え入れるためには、いつも心に愛の火をともしている必要があるのです。主人が帰って来てから火を起こすのでは遅すぎるのです。
 夏のキャンプで、キャンプファイアーをすることがあります。盛大に燃え上がる火の回りで歌ったり踊ったりするのは、キャンプの大きな楽しみです。ですが、大きな火を燃え上がらせるのは簡単なことではありません。たとえば、雨上がりで木が湿っていればなかなか火がつきません。まず、木をしっかり乾かす必要があるのです。小さな木や新聞紙をくべると、一瞬大きな火を作り出すことができますが、長くは持ちません。長時間燃え続けさせたいなら、下の方にある大きな木に、しっかりと火をつける必要があるのです。
 愛の炎を燃え上がらせるときにも、似たようなことが言えます。不平や不満ばかり言うじめじめした心に、愛の火を燃え上がらせるのは難しいことです。心に愛の火を燃え上がらせたいなら、いつも心を謙遜に保っておく必要があるのです。
 神様は、いつでもわたしたちに最高の恵みを準備してくださいます。ですが、傲慢な心は、神様がどんなにすばらしい恵みを準備して下さったとしても、「そんなこと当然だ」と思い、「これが足りない」とか「これは欲しくない」とか文句を言ってその恵みを台無しにしてしまうのです。大切なのは、謙遜な心で神様の愛に感謝することです。「こんなわたしのために恵みを準備して下さるなんてありがたい」と思い、感謝する心に神様への愛が燃え上がります。
 大きな木にしっかりと火をつけることも大切です。みんなで大騒ぎをしたり、旅行をしたり、そんなときにだけぱっと燃え上がる信仰では、火が長持ちしません。心の表面を燃え上がらせるだけでなく、心を奥深くまでしっかりと燃やす必要があるのです。大きな火を燃やし続けたいならば、芯まで真っ赤に燃えている炭火のような信仰を持つ必要があるのです。そのためには、神様の愛を心の底から信じることです。神様の愛が心の底にまで達したとき、わたしたちの心は喜びと感謝の炎で赤々と燃え上がります。
 イエス様がいつ来られてもいいように、心に愛の火をともしていましょう。そのためには、心を不平や不満で湿らせてしまわないこと。そして、芯から赤々と燃える炭火のような信仰の火を燃やしていることです。燃え盛る信仰の恵みを神様に願いましょう。