バイブル・エッセイ(880)愛の完成

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愛の完成

「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」(ルカ20:34-38)

 死者の復活を説くイエスに、サドカイ派の人々が鋭い質問を浴びせます。死別と再婚を繰り返した人たちは、復活した後、どのような関係になるのかと言うのです。イエスは、復活した人たちは「めとることも嫁ぐこともない」「天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである」と答えます。一体どういうことでしょう。復活のときには、夫婦や家族の絆は消えてしまうのでしょうか。

 互いが自分のすべてを相手のために差し出し合い、互いをあるがままに受け入れ合う婚姻の絆は、この地上で、三位一体の神のうちに結ばれる愛の絆に最も近いものだと考えられてます。結婚は本質的によいものであり、人間を愛の完成に近づけるものであって、復活のときに消されてしまうような余分なものではないのです。ですから、婚姻の絆が消えるのではなく、その絆がさらに高い段階へと移ってゆくと考えたらいいでしょう。

 婚姻の絆はすばらしいものですが、一つの矛盾を抱えています。神が望んでおられるのは、わたしたちが皆、互いを兄弟姉妹として受け入れ合い、無償の愛によって互いを支え合うことです。ですが、人間にはどうしても嫉妬心というものがあります。自分が愛している人が、他の人との間に深い愛の絆を結んだ場合、それを黙ってみていることができないのです。結果として、この地上では、すべての人が互いに完全な愛で結ばれるということは困難になります。

 天国では、この嫉妬という感情がなくなると考えたらいいでしょう。神さまと直接向かい合い、その愛で心を豊かに満たされるとき、わたしたちの心からは嫉妬心が消えるのです。復活した人は、自分が深く愛している人が、他の人とも深い愛で結ばれるのを見たとき、それをまるで自分自身のことであるかのように喜ぶことができます。そのことによって、その人と自分とのあいだにある愛の絆が脅かされるのではないかなどとは、まったく思いません。二人の間に結ばれた愛の絆は完全なものであり、何があっても消えることはないと確信しているからです。

 こうして、天国でわたしたちはみな兄弟姉妹として固い愛の絆で結ばれ、天使たちのように、手を携えて神を賛美することになるのです。それでは物足りないと思う人もいるかもしれませんが、相手を独占することから生まれる満足感は、神さまの愛の中では何の意味も持たなくなるので、実際にはきっと何の問題も感じないはずです。その世界では、他の人の喜びは、そのまま自分の喜びになるのです。

 このような交わりは、地上で実現するのは困難です。ですが、理想がここにあることは忘れないようにしたいと思います。嫉妬心を捨て、互いの喜びを自分の喜びとして感じられるような交わり、真実の愛の交わりを実現してゆくことができるよう祈りましょう。