バイブル・エッセイ(1120)暗闇に輝く光

暗闇に輝く光

 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。(ヨハネ1:1-5、9-14)

「光は暗闇の中で輝いている」と力強く語るヨハネ福音書の言葉が読まれました。イエス・キリストによって、すべての人の心を照らす希望の光、愛の光がこの地上にともされた。どんな暗闇も、この光を消すことはできない。「光は暗闇の中で輝いている。あらゆる暗闇に打ち克ち、いつまでも輝き続ける」、ヨハネはそう確信していたのです。
 今年のクリスマス、ベツレヘムの御降誕教会の前に、普段とは違うクリスマス飾りが置かれました。馬小屋ではなく、戦場のがれきの中でイエスが誕生する場面が再現されたクリスマス飾りです。激しい戦闘に巻き込まれ、たくさんの人々が傷つき、家を失う。そのような悲惨な情況でさえ、イエス・キリストは必ず生まれるという信仰を表しているそうです。
 どんな悲惨な情況でも、イエス・キリストは必ず生まれる。それは間違いのないことだと思います。たとえば今回のガザでの戦闘の中で、最後まで病院に残って患者たちの世話を続け、戦闘に巻き込まれて命を落とした3人の医師たちのことが報じられました。傷つき苦しんでいる仲間を、見捨てて逃げることはできない。自分の命をかけてでも、この人たちに最後まで寄り添いたい。そう決意したこの3人の医師たちの中には、確かにイエス・キリストがおられました。傷つき苦しんでいる仲間たちのために自分を捧げたこの医師たちの中に、崇高な「神の愛」、イエス・キリストが誕生したのです。彼らは戦闘の犠牲になりましたが、彼らの心に燃え上がった愛の光が消えることは決してありません。必ず彼らの志を継ぐ医師が現れ、傷つき苦しんでいる人々に寄り添い続けるでしょう。どんなに闇が深かったとしても、光が消えることは決してないのです。
 このようなことは、戦争や自然災害などによって大きな暗闇が生まれるたびごとに必ず起こります。たとえば、阪神淡路大震災が起こったとき、自分たちの家もひどく被害を受けていたにもかかわらず、さらに大きな被害を受けた人、家を失った人たちのために炊き出しを始めた人たちがいました。「自分も苦しいが、もっと苦しんでいる人たちがいる。その人たちのために何かせずにいられない」。そう思って活動を始めたとき、彼らの中にイエス・キリストが誕生しました。教会の信者たちも、互いに助け合い、これまで以上に親密なつながりを作ることができたため、「教会の建物が壊れたことで、本当の教会が生まれた」ともいわれました。
 先日、山口県の人口が2050年までに今の3分の2になるという衝撃的なニュースがありましたが、それも心配する必要はありません。数が減れば、必ずより親密な助け合いの共同体ができあがり、そこにイエス・キリストが必ず生まれるからです。希望のないような状況、暗闇としかいいようがない状況が広がったとしても、何も恐れる必要はありません。暗闇があるところには、必ずイエス・キリスト、愛の光、希望の光が生まれるからです。この光に照らされ、導かれながら、どこまでも進んでいくことができるよう、心を合わせてお祈りしましょう。

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