バイブル・エッセイ(1119)あなたがたへのしるし

あなたがたへのしるし

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2:1-14)

 羊飼いたちに救い主の誕生を告げた後、天使は、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」といいました。救い主が「飼い葉桶に寝ている」、つまり、羊たちと共に野宿をして暮らす中で服は汚れ、体に羊のにおいが染みついた羊飼いたちでも遠慮せずに入っていくことができる家畜小屋にいる。そのことこそ、イエス・キリストが羊飼いたちのための救い主であることの何よりの証拠、「あなたがたへのしるし」だというのです。
 神さまはわたしたち一人ひとりに、わたしたちが目に見てしっかり愛を感じることができるしるし、「あなたがたへのしるし」を与えてくださいます。わたしの場合は、20代前半に出会ったマザー・テレサがまさに目に見える愛の「しるし」でした。当時まだ洗礼を受けたばかりで「神の愛」とはどういうことなのか分かったいなかったわたしは、マザー・テレサに会えば何かわかるだろうというだけの理由で、突然にコルカタのマザー・テレサの家を訪ねました。ノーベル平和賞の受賞者であり、世界的な有名人である人に、そう簡単に会えるわけはない思ってはいたのですが、予想に反して、マザーはすぐわたしに会ってくれました。それどころか、満面の笑みを浮かべて歓迎してくれたのです。
 マザーに会えた、マザーがすぐに会ってくれ、しかも笑顔で歓迎してくれたということは、わたしにあたえられた「神の愛」のしるし、イエス・キリストがわたしにとっても救い主であることのなによりの証でした。みなさんもきっと、思いがけず誰かから歓迎された、「こんなわたしが受け入れてもらえるはずがない」と思っていたのに、予想に反してあたたかく迎え入れられたという体験があるでしょう。そのような体験こそ、神さまがわたしたちに与えてくださる愛の証、「あなたは確かに愛されている」ということをわたしたち一人ひとりに教えてくれる「あなたがたへのしるし」なのです。
 第二バチカン公会議から「開かれた教会」ということがよくいわれます。誰でも気兼ねなく入ってこられる教会、入って来た人を心から歓迎する教会、羊飼いがイエスに気兼ねなく会えたように、誰でもイエスに会える教会ということでしょう。そのような教会のあり方そのものが、すべての人を救いたいと願う神さまの愛の何よりの証になると、教会の指導者たちは気づいていたのだと思います。
 もちろん、すべてのことができるわけではありません。しかし、たとえば時間を決めて図書コーナーを地域に開放する、「クリスマス絵本コーナー」の試みのように、できることから少しずつ始めることは可能です。羊飼いたちにとっての家畜小屋のような、すべての人にとって入りやすい、誰もがイエス・キリストと出会える、そんな教会を作っていけるよう心を合わせて祈りましょう。

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