バイブル・エッセイ(1123)わたしたちの救い

わたしたちの救い

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、 お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。(マタイ2:1-12)

 星に導かれて、ベツレヘムのヨセフの家にたどりついた3人の博士たち。彼らが「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み」贈り物を捧げたとマタイ福音書は記しています。母マリアの腕に抱かれたイエスの前で、3人の博士たちはひれ伏したのです。果してこのとき、3人の博士たちは何を思っていたのでしょうか。
 そもそも、博士たちはなぜ旅に出たのでしょう。きっかけとなったのは、彼らがメシアの誕生を知らせる星を見たことでした。その星を見たとき、彼らは長く、危険な旅に出る決意をしました。その星の下で、自分たちの探している一番大切なもの、自分たちを苦しみから救い出してくれる何かと出会えると思ったからです。彼らは博士で、また王でもありましたから、お金も権力も知識も人並み外れて持っていたはずです。これ以上、救われる必要などないようにも思えますが、人間はそれだけでは幸せになれない。何かもっと別なものが必要だと彼らは感じていたのでしょう。だからこそ、その何かを探して旅に出たのです。
 長い旅の果てに彼らが見たもの、それはあたたかなヨセフの家の中で、すやすやと幸せそうに眠っている幼子の姿でした。他の赤ん坊とまったく変わらない、母の腕に抱かれた小さくて無力な命。それが救い主だと知ったとき、彼らは何を思ったのでしょう。彼らはもしかすると、自分自身も、このような無力な赤ん坊としてこの世に生まれたことを思い出したかもしれません。幼い子どもの頃、母の腕のぬくもりの中で感じた幸せ。何もできない無力な自分を、あるがままに受け入れ、守ってくれた母の愛を思い出し、人間にとって一番大切なのは、そのような愛と出会うことなのだと気づいた。自分を無条件に受け入れてくれる愛に包まれていること。それこそが、人間の本当の幸せなのだと気づいて、母マリアと幼子イエスの前にひれ伏した。わたしは、そのように想像しています。
 母マリアの腕に抱かれた幼子イエスのご像や絵が、世界中のカトリック教会に飾られていることには、とても深い意味があると思います。なぜなら、そのご像や絵は、わたしたちに与えられた救いそのものを表しているからです。人間は、どんなにお金や権力、知識があっても、それだけでは幸せになれません。人間が幸せになるために本当に必要なもの。それは、何も持たず、何もできない自分をあるがままに受け入れてくれる母の愛であり、神の愛なのです。母マリアの腕に抱かれた幼子イエスの姿は、わたしたちにそのことを教えてくれます。母マリアの腕に抱かれた幼子イエスのご像や絵こそ、言葉ではなく、目に見える形で表現された福音なのだといってもよいでしょう。
 御公現の祭日に当たって、あらためてそのことを思い出し、救いの恵みを味わいたいと思います。どんなときでも、わたしたちは、わたしたちのことをあるがままの姿で受け入れてくださる神の愛の中にいる。わたしたちの救いはそこにあるのです。救いの喜びをかみしめながら、3人の博士と共に感謝の祈りを捧げましょう。

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