バイブル・エッセイ(486)星の光に導かれて


星の光に導かれて
 占星術の学者たちがヘロデ王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(マタイ2:9-11)
 星の光に導かれて旅をし、ついに救い主と出会った学者たち。「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」と書かれていますが、遠い東の国でその星を見つけたとき、学者たちはいてもたってもいられなくなりました。その星の光に強く心を惹かれ、あらゆる困難を覚悟で旅に出たのです。その星の下に、いったい何があるのかを確かめずにはいられなかったのです。
 それは、わたし自身の体験とも重なります。私は23歳のとき、テレビや本で知ったマザー・テレサに心を強く惹かれ、ともかく会いに行こうと思ってインドに旅立ったのでした。マザーと出会ったとき、わたしは「この人のそばにいれば、必ず道が示される」と確信しました。マザーは、それほど強い輝きを放つ星だったのです。なぜマザーがそれほどまでに輝いているのかは、そのときわかりませんでした。ただ直観的に、光り輝くマザーの後についていったのです。
 マザーを輝かせていたのは、全身からあふれ出るいつくしみの光だったと言っていいでしょう。マザーは、自分のすべてを差し出すような愛で相手を包み込む人でした。「わたしにとっては、あなたが世界で一番たいせつな人。あなたには、無限の価値がある」。マザーは、全身でわたしたちにそう語りかけていました。たとえば、その笑顔。マザーは誰にでも、輝くような笑顔でほほ笑みかけました。「あなたに会えて、本当にうれしい」というメッセージをはっきりと伝えるその笑顔には、いつくしみの光が確かに輝いていました。たとえばその目。マザーは誰と会うときにも、目をきらきら輝かせていました。まるで高価な宝石か美しい花でも見つめるような目で、相手をじっと見つめたのです。「あなたは限りなく大切な人」というメッセージをはっきりと伝えるそのまなざしには、いつくしみの光が確かに輝いていました。あるいはたとえば、その耳。マザーは相手の話を一言漏らさずに聞こうとしました。「あなたのことなら、何でも知りたい」というメッセージを確かに伝えるその態度は、確かにいつくしみの光を放っていました。そのようにして全身からあふれだすいつくしみの光が、マザーを神々しく輝かせていたのです。マザーからあふれる光と出会った人は、その光につよく心を惹かれ、マザーの後についていかずにはいられなくなりました。
 マザーと過ごすうちに、「なぜ、この人はこれほどまばゆく輝き続けることができるのだろう」という疑問が湧き上がってきます。その答えは、信仰以外にありません。神様は何もできない欠点だらけの自分を、そして兄弟姉妹であるすべての人を深く愛しておられる、ありのままで受け入れて下さるという揺るがぬ確信が、マザーを輝かせていたのです。信仰によって神の愛に満たされたマザーの全身から、いつくしみの光があふれ出したのです。マザーに導かれて信仰の世界、深い祈りの世界に分け入った人々は、そこでいつくしみの光の源、イエス・キリストと出会いました。マザーという星を輝かせていた光の源、神の愛と出会ったのです。
 こうして、たくさんの人々がマザー・テレサという星に導かれてイエス・キリストと出会いました。「いつくしみの特別聖年」である今年、わたしたちも全世界にいつくしみの光を輝かせる星になりたいと思います。まず大切なのは、自分自身が神の愛を心の底から感じることです。「何があっても神様はわたしのことを絶対に見捨てない。わたしの人生には確かに価値がある」、そう心の底から確信できたとき、わたしたちの全身から、いつくしみの光が輝き出します。わたしたちの言葉や行いが、人々を導く光となるのです。わたしたちと出会った人が「この光は、いったい何だろう。この人としばらく付き合ってみよう。この人が通っている教会に行ってみよう」と思うほどの光を放つことができるよう、心を開いて神様の愛をしっかりと受け止めましょう。