バイブル・エッセイ(6) 光をもたらすために

 
 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。(マタイ5:14-16)
 「あなたがたの光」とは一体何でしょうか。マザー・テレサの言葉を使うなら、それは「イエスを愛する喜び」のことではないかと思います。では、「イエスを愛する喜び」とは何でしょうか。
 たとえばこう考えたらどうでしょう。わたしたちの友人の誰かに恋人ができたという経験を思い出してください。それまで暗い顔をしたり、不平不満が多かったその友人が、恋人ができたとたんに急ににこやかな笑顔を浮かべるようになり、周りの人にもやさしくなったというようなことがありませんでしたか。わたしは、そういう光景を何回か見たことがあります。人間は誰かを心から愛し、相手からも愛されていると感じているときに、その喜びを知らず知らずのうちに周りにも伝えていくものなのでしょう。
 もしわたしたちがイエス・キリストを心から愛し、祈りの中でイエス・キリストからも愛されていると感じるならば、きっとそれと同じことが起こるはずです。イエスを愛する喜び、イエスと共にいる喜びが心の底から湧き上がり、わたしたちの心からあふれて周りの人々にも伝わっていく、そういうことが起こるはずです。その喜びこそ、わたしたちがこの世界に輝かせる光なのではないかとわたしは思います。喜びに輝いた顔は、百万の言葉よりも雄弁に、神を愛し、神から愛されるというのがどういうことなのかを人々に伝えるでしょう。マザー・テレサの笑顔は、わたしたちにそのことを教えていると思います。
 一昨日の秋葉原での事件以来、言いようのない不愉快さや、なにか得体のしれない重苦しさが日本全体を覆っているように感じます。このようなときにこそ、わたしたちはキリストを愛する喜びをこの地上に輝かせていくべきでしょう。キリストの愛には、どんな重苦しさも跳ねのけ、全世界を隅々まで明るく照らして余りある力があるとわたしは思います。
※写真の解説…メソポタミア地方の朝焼けとユーフラテス川。1997年、中東巡礼中にシリアで撮影。