バイブル・エッセイ(8) 働き手が少ない


 エスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ9:35-38)
 「収穫は多いが働き手が少ない」とイエスは言っています。神の愛を求めてさまよっている人は多いが、その人たちに神の愛を伝える人が少ないということを嘆いておられるのでしょう。
 この言葉を祈っているときに、先週の秋葉原での事件の加害者のことを思い出しました。あの加害者は、犯行に及ぶ前、携帯電話を通してインターネット上に「自分は人間の屑だ」、「敗残者だ」、「生きている意味がない」というようなことを何千回も書き込んでいたそうです。進学校を卒業しながら、思ったような仕事につけない自分のことを彼は自分自身で受け入れることができなかったのでしょう。だからこのような書き込みを何千回もしたのだろうと思います。誰かが、「そんなことはない、きみには生きる価値があるし、ぼくはきみが大好きだ」と反論してくれるのを待っていたのかもしれません。インターネット上であっても、現実世界であっても、誰かが彼に「きみは大切な存在だ」というメッセージを真剣に伝えられたなら、きっとあのような事件は起こらなかっただろうと思います。そう思うと残念で仕方がありません。
 わたしたちの周りにも、きっとそのような叫びを上げている若者がたくさんいるはずです。誰かに自分を受け入れてほしいと願う若者たちの声に、わたしたちはもっと耳を傾けるべきでしょう。わたし自身も経験がありますが、若者は社会に対して疎外感を抱きやすいものだと思います。多くの若者たちは、社会の中に自分がいられる場所、自分がありのままで受け入れられる場所を求めてさまよっているのです。現代社会に若者の居場所が少ないのであれば、教会こそが彼らに居場所を提供すべきでしょう。愛を求めてさまよう彼らに「きみは大切な神様の子どもだ。わたしにとってきみはかけがえのない存在だ」というメッセージを伝えることこそが、御国の「働き手」であるわたしたちキリスト信者にいま求められているのだと思います。
※写真の解説…北海道・富良野のジャガイモ畑。