バイブル・エッセイ(83)本当の願い


 あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。 御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』(マタイ6:6-13)

「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」とイエスは言います。神様は、わたしたちに何が本当に必要かよく御存じだ。だから、「あれをください、これをください」とか「あの地位につけますように」、「あの人の心が自分から離れませんように」とかくどくどと祈る必要がないというのです。
 この言葉は深く胸に刻むべきでしょう。わたしたちは自分に本当に必要なものを知らないまま、欲望に基づいて何かを求めて失敗してしまうことが多いからです。たとえば、どうしても欲しいと思って買った洋服が、実際に手に入れてみたら大したことがなかった、自分には似合わなかったというような体験がみなさんあるのではないでしょうか。ちょっとした買い物だけでなく、配偶者選びや、職業選び、人生の目的の設定などについても同じことが起こりうるでしょう。
 『市民ケーン』という有名な映画がありましたが、あの映画の主人公は、富と権力、女性からの愛を貪欲に求めて破天荒な人生を送っていきます。ですが、臨終のときに彼が残した言葉は、彼にとって本当に必要だったものが家族からの愛だったことを暗示していました。そのことに気付かないまま、幼い頃に両親から離された心の傷を癒すために、彼は富や権力、女性へと向かっていったのです。
 わたしたちの心の隅々まで見通しておられる神様だけが、わたしたちに本当に必要なものを知っておられます。自分のことさえよく知らないわたしたちは、ただ「神様の御旨がこの地上に行われ、神の国が実現しますように」とだけ祈ればよいのです。そうすれば、本当に必要なものはすべて与えられるでしょう。神の御旨に信頼して、自分の思いを捨て、無心に「主の祈り」を唱えたいものです。
※写真の解説…ラベンダーのつぼみ。布引ハーブ園にて。