フォト・エッセイ(36) NAGASAKI2008


 長崎の街中を散歩していると、原子爆弾の爪痕に直面せざるをえないことがたびたびある。浦上周辺を歩いているときには、とりわけそのことを感じる。噴水が湧き、鳩が餌をついばむのどかな公園の片隅にも、あるいは車や人々が行きかう平凡な橋の欄干にも、原子爆弾投下直後にその周辺がどのような状態だったかということを示す写真のプレートがかけられていたりするからだ。原爆で崩壊した浦上天主堂の柱や鐘楼の一部、片足だけで立っている神社の鳥居、原爆の火で焼かれながらよみがえった巨大な楠の木など、被害のすさまじさをありありと示す痕跡も残っている。それらの一つひとつの前で足を止め、向い合うたびごとに、原子爆弾についてのさまざまな思いが湧き上がってきた。
 そんな中で今回もっとも印象に残ったのは、浦上天主堂で出会った「被爆のマリア」だった。原爆の熱線によって表面を焼かれた木製のマリア像の頭部が、倒壊した浦上天主堂の瓦礫の中から発見された。それが、「被爆のマリア」だ。黒く焼け焦げ、目の部分は暗く落ちくぼんでしまっているが、それでも美しい聖母の面影を残したその像が「被爆のマリア」と呼ばれて人々の崇敬を集めているのだ。昔は主聖堂の一角に安置されていたように思うが、今回訪れたときには主聖堂の右側にある特別な小聖堂に安置され、誰でもその前で祈れるようになっていた。
 黒く焼け焦げた哀れな「被爆のマリア」の顔を見上げて祈っていたときに、なぜだか涙がこみ上げてきた。このマリアは、人々が熱線で焼かれ身悶えしながら死んでいったときに、自分も同じように身を焼かれたのだ。このマリアは、原爆で焼かれて死んでいった人々とまったく同じ苦しみを味わったのだ。そう思ったときに、人類に対する聖母の愛がどれほど深いものかに胸が揺すぶられ、涙があふれてきた。聖母は、人間の愚かさゆえに引き起こされた惨劇の苦しみを、人間と共に担ってくださったのだ。よく見ると、このマリア像の顔にはかすかな微笑みさえたたえられているように感じられる。人々ともに身を焼かれながら、聖母は人々と共に苦しめることを喜んでさえいたのかもしれない。
 「マリアはやはり全人類の母なのだ」と、「被爆のマリア」を見上げながらしみじみ感じた。聖母は、大きな母の愛でわたしたち人間の愚かささえも包み込んでくださる。罪深さゆえに互いを傷つけあう人類を、ありのままで抱きしめ、喜びも苦しみも共にしてくださる。それこそまさに、十字架上で全人類の罪のために死なれたイエス・キリストの愛の完全なかたどりに他ならないだろう。自分の利益ばかり考えて互いに競い合い、ときに殺し合いさえする人間たちを、神はいつも悲しみを湛えた目で見つめておられる。そして、人間たちが神の存在に気づいて神との交わりの中に立ち返り、真の平和の中で生きるようになることを願っている。わがままな子どもたちの前で無力さをさらけ出しながら、それでもただひたすら子どもたちが自分のもとへ帰ってくることを待っている母の愛。子どもたちが成功して喜べばその喜びを自分のものとして喜び、子どもたちが苦しめばわが身が苦しめられているかのよう自分も苦しむ母の愛。神の愛とは、きっとそのようなものなのだろう。
 司祭叙階を目前に控えたわたしにとっては、そのマリアの姿は司祭の姿のかたどりのようにも見えた。司祭にも、人々の苦しみの前でなすすべもなく立ち尽くし、自分の無力さを露呈しながら、それでも人々のそばに留まって苦しみを共にすることが求められているのだろう。そのように生きることで、神の愛の一つの側面を証ししていくことが司祭の使命なのだろうと思う。人間の愚かさの前で無力な神、人間と共に苦しみ悲しむ神、そのような神のかたどりになっていくために、自分の無力さを噛みしめ、聖母と共にただ人々のもとに留まって苦しみを共にするのが司祭の使命なのだ。
 「被爆のマリア」は、全人類の愚かさや罪を凝縮したような原子爆弾の炸裂という出来事を、熱線に焼かれて死んでいった無数の人々ともに体験した。この出来事にわたしは、聖母の究極の愛を感じる。この愛を忘れずに心に刻みこみ、聖母の心を生きられる司祭になっていきたいと思う。




※写真の解説…1枚目、浦上天主堂。2枚目、原爆の被害を示すプレート。3枚目、平和記念公園男神像。