黙想の家がある立山から見る長崎の夜景は、とても美しい。最近完成した女神大橋のライトアップが、その美しさに花を添えている。黙想会のあいだ、夜は窓から夜景を見つめていることが多かったが、何時間見ていてもあきないほど美しかった。ときには、窓際で夜景を眺めながら祈ることもあった。
霊操の第2週をしていたときにも、一つの黙想を窓際でした。「キリストの王国」と呼ばれている黙想だ。その黙想の中では、王であるイエス・キリストが「神の国」を地上に実現していくために協力するようわたしたちに語りかける言葉を聞き、その言葉に答えてイエスに従っていく恵みを願い求める。そう願いながら祈っているうちに、夜景の光の中にイエスの顔がふっと浮かび上がり、わたしに語りかけたような気がした。
「これからこの地上に、孤独の中で苦しんだり、誰からも愛されていないと思いこんで絶望したりする人が一人もいない世界を作ろうと思います。誰もが神の子として胸を張り、喜びに満たされて生きることができる世界を作るのです。そのために協力してくれますか。」浮かび上がったイエスの顔は、わたしにそう語りかけているようだった。夜景を作り上げている一つひとつの光の周りに生きているたくさんの人たち、その中には孤独で苦しんでいる人や、誰からも愛されていないと思いこんで絶望している人もいるだろう。その人たちの一人ひとりに、喜びの福音、すべての人が生きているというだけで神様から深く愛され、大切に守られているのだという事実を告げ知らせる使命に招かれた、イエスの言葉を聞いてわたしはそう感じた。
イエスに続いて、マザー・テレサの顔も浮かび上がってきた。かつてマザーはわたしに、「あなたは司祭になりなさい。司祭として、イエスに自分の全てを捧げるのです」と語りかけたが、その言葉がそのとき鮮明に思い出された。マザーは、わたしがこの地上に「神の国」を実現するというイエスの望みに応えて、司祭として働くことを望んでいたのだ。そう思ったときわたしの心は、マザーと共にイエスに従って歩んでいきたい。イエスの望みを実現するために、司祭として自分のすべてを捧げていきたいという気持ちで一杯になった。マザーは、わたしの先に立って、まっすぐイエスの方を向きながら歩いている。その跡をたどりながら、亡くなったSr.マーガレット・メリーを初め無数の人たちがマザーと同じ方向に向かって歩いている。わたしも、その群れの中に加わってイエスの方に向かってまっすぐ歩いていく。そんなイメージも心に浮かんだ。
黙想が終わっても、しばらくその場でじっと夜景を眺めながら祈りの余韻を味わっていた。今思い出しても、心が燃え上がるような体験だった。あの体験をいつまでも忘れないでいたい。
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※写真の解説…1枚目、イエズス会長崎黙想の家からの夜景。奥に見えているのは、長崎の新名所である女神大橋。2枚目、稲佐山からの夜景。浦上から港にかけて。3枚目、黙想の家から見た夕暮れ時の稲佐山。