フォト・エッセイ(58) 東福寺・嵐山の紅葉③


 渡月橋で六甲教会の若者たちと合流し、保津川の土手でお弁当を食べた。川面を渡ってくる風は冷たかったが、嵐山でおそらく一番いい景色を見ながらの昼食はとてもおいしかった。見ていると、嵐峡の川下りを楽しむ人たちの舟が次々と川を下ってきた。お弁当のあと、嵐山公園を通って常寂光寺へと向かった。
 昼過ぎの常寂光寺は、人でごったがえしていた。さびしげな光が木々のあいだから差し込む閑静な寺院を想像していたので、やや期待がはずれではあった。だが、紅葉はここも見ごろで、山門を囲んだモミジの木々はどれも赤く色づいていた。人ごみにもまれながら、ときおり立ち止まっては写真を撮りながら歩いていった。歩いているうちに、またいやな雲が出てきた。空は青空なのだが、嵐山の山際にさしかかった太陽の前に厚い雲がたちこめ、光をさえぎり始めたのだ。
 太陽の光がさえぎられると、境内の紅葉は何かさびしげに見えた。だが、ときどき雲の合間から太陽が境内の木々を照らしだすと、まったく景色が変わった。光のあるなしでこれほどまでに変わる景色というのも珍しいだろう。暗く沈んだ景色が、一瞬のうちに鮮やかな赤や黄色、緑色に輝く宝石箱のような景色に一変するのだ。境内に光が差すたびに、観光客たちのあいだから歓声があがっていた。
 モミジの葉は、その一枚一枚がステンドグラスの色ガラスのようだ。光を浴びるたびに、その本来の色が輝き出し、人々を天上の美しさへといざなっていく。その光は、人工的に作られた色ガラスの光よりもどこかやさしさを感じさせる。仏教寺院にステンドグラスの輝きはないが、モミジがそれに代わって十分な役割を果たしているようだ。
 常寂光寺のあと、二尊院と清涼院を回った。このあたりで気づいたのだが、どうも京都のお寺というのはどこもモミジの木がたくさん植えてあるらしい。二尊院も清涼院も、色とりどりの紅葉で美しく彩られていた。雲が出たために薄暗くなり、気温が下がってきたのが残念だったが、それはそれできれいな紅葉を楽しむことができた。写真も撮りにくかったが、まあ仕方がない。最後に天竜寺についたころには、あたりはもうすっかり寒くなり、夕方の光に包まれていた。
 京都の紅葉は、ほんとうにすごい。その美しさを写真に収めるためには、何十回何百回と通い詰めなければならないだろうと思われるくらい奥の深い紅葉だ。古人たちが紅葉に込めた祈りが、木々のあいだに響き渡っているようにも感じる。来週は、清水寺に行ってみようと思う。







※写真の解説…1枚目から3枚目、渡月橋周辺の紅葉。4枚目、常寂光寺の紅葉。