バイブル・エッセイ(38) 神の母マリア

 このエッセイは、2009年1月1日「神の母聖マリアの祭日」のミサでの説教に基づいています。

 羊飼いたちは急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。(ルカ2:16-21)
 羊飼いたちの話を聞いたマリアは、一体何を思い巡らしていたのでしょうか。
 そう考えているときに、1人のお母さんのことを思い出しました。以前に東京で出会ったあるお母さんです。彼女には知的障害を負ったお子さんがいて生活は厳しいようだったのですが、彼女が悲しそうな顔をしているところを見たことがありません。それどころか、いつも元気な笑顔で周りにいるわたしたちを励ましてくれました。
 一度彼女に「どうして、いつもそんなに元気でいられるのですか」と聞いたことがあります。すると彼女は、次のように答えました。正直なところ子どもが障害を負って生まれた時はショックでひどく苦しんだ。生まれてすぐに子どもが大きな手術を受けた時には、「このまま子どもが天に召されれば」とさえ思った。でも、手術が終わって出てきた子どもが自分の腕の中でニコッとほほ笑むのを見た瞬間、深い痛悔の念とともに、「この子と一生涯ともに生きていこう」という堅い決意が湧き上がってきた。それ以来、一度も子どものことで苦しいと思ったことがない。
 マリアもおそらく、天使のお告げや羊飼いたちの話を聞いたとき、大きな不安に苦しんだことだろうと思います。もし子どもがローマ帝国に反旗をひるがえす指導者になるならば、その運命は知れているでしょう。たくさんの人々がローマに反旗を翻し、無残な死を遂げていきました。子どもの将来を案じて、母マリアの心はかき乱されたはずです。そのような子どもの母として生きることに恐れや不安も感じたでしょう。
 ですが、マリアの腕の中にはマリアに向かってニコニコとほほ笑む幼子イエスがいました。イエスのその笑顔によって、マリアの心は大きな安らぎと愛に満たされたことでしょう。そして、最後までこの子と一緒に歩んでいこうという決意を固めたはずです。イエスを通して神様の愛に気づき、力づけられたマリアは、神の母としての使命に目覚めて歩き始めたのです。
 このマリアの愛、どんなことがあっても幼子イエスと生涯ともに歩み続ける決意をしたマリアの愛に見習いたいと思います。このミサの中で、わたしたちもイエスの笑顔に力づけられ、どんなことがあってもイエスを離れることがないほどのイエスを愛することができるよう、そのために必要な恵みを神様に願ってまいりましょう。
※写真の解説…東京、高畑不動にて。