やぎぃの日記(19) 祈りから新年を始める集い


 六甲教会では1月1日に3回ミサをする。零時ちょうどから始まる深夜ミサ、朝7時のミサ、そして朝11時のミサだ。今回、わたしは深夜ミサを主司式し、11時のミサを共同司式した。11時のミサの後、若者たちを集めて「祈りから新年を始める集い」を行った。マザー・テレサ「すべてのことは祈りから始ります」と言ったが、この2009年という新しい年も祈りから始まるのが一番ふさわしいと思ったからだ。元旦ではなかなか人が集まらないだろうという心配もあったが、帰省せずに独りで正月を過ごしている若者なども意外といて、結局10人以上が参加してくれた。
 集いは、ロザリオ、沈黙の祈り、祈りの分かち合いという3部構成で行った。初めに全員でロザリオを一環唱え、次にわたしが祈りの道案内をしながら沈黙の祈りをした。沈黙の中で1時間ほど祈った後、お茶を飲みながら祈りの中で感じたことの分かち合いをした。多くの若者たちが、みんなと一緒に祈ることで普段味わえないような祈りの深みを体験できたと話していたが、わたし自身も同じような感想を持った。集中した祈りの中で改めて昨年を振り返ると、反省すべき点がいつくも浮かび上がってきた。
 なにしろ去年わたしは教会で手当たり次第にいろいろなことをしたし、あちこちに出かけてたくさんの体験をした。その中で多くのことを学ばせてもらったが、まだまだ未消化の部分が多い。その部分を、ゆっくり時間をかけて消化しなければならないと思う。未消化のまま次のこと次のことへと手を伸ばしていくと、散漫なまま自分が拡大し、ばらばらになってしまうような気がするからだ。それに、祈りが不十分なまま次々に行動すると、どうしても人間的な判断基準で行動してしまいがちになる。深い祈りと識別によって、すべての体験の根底に一本しっかりとした筋を通さなければならない。
 昨日の体験から、また一つのことを思いついた。昨年は、若者たちを集めて月に一度「ともに考える会」をやってきた。人生、社会問題、信仰などについて分かち合いをする集いだ。今年は、これと並行して「ともに祈る会」をやったらどうだろうか。若者たちからどのような反応があるか分からないが、今年の「やぎぃ企画」はとりあえずこの2本立てで行こうかと思っている。
※写真の解説…草津温泉で見かけた雪だるま。