その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。(ヨハネ1:43-51)
ヨハネの弟子たちがイエスの後についていきます。彼らの最初の望みはイエスの住まいを見たいということでしたが、結局イエスと一緒に一晩泊ってしまいます。はじめは他人から聞いてイエスに従った彼らでしたが、イエスと共に歩き、イエスと話しているうちに、もうイエスのそばを離れられなくなってしまったようです。
イエスと共にときを過ごした彼らは、自分が神様から救われたと感じ、深い喜びで満たされました。自分の家に帰った彼らが、家族に「わたしたちはメシアに会った」と力強く語ったことからもそのことがよくわかります。「わたしたちはメシアに会った」と言うのは、「わたしたちは救われた」と言うのと同じことです。
この弟子たちの心の動きは、わたしたちの信仰生活と重なるものだと思います。わたしたちは日曜日になると、イエスのそばにとどまり、イエスと一緒に時を過ごしたい一心で教会にやってきます。教会こそがイエスの住まいに他ならないからです。わたしたちはイエスの住まいでイエスと語り、イエスと一緒に食事をします。それがミサの意味だと思います。ミサの中でイエスの言葉を聞き、それに感謝で応答し、イエスが分けてくださる食事をイエスとともに頂くとき、わたしたちの心は言い知れない安らぎと喜びで満たされていきます。「わたしたちは救われた」と人々にはっきり告げるのに十分な恵みが、ミサを通して与えられるのです。
イエスの住まいでイエスとともに過ごすこのミサのひとときを、本当に大切にしたいものです。
※写真の解説…さざんか。有馬温泉にて。