《日常生活の中でミサを生きる》

先日の「ともに考える会」で配ったレジュメです。参加できなかった方は、どうぞ参考になさってください。
《日常生活の中でミサを生きる》
1.ミサという言葉の意味
ミサ=派遣。わたしたちはミサの中で、世界に福音を伝えるために必要な力をすべて与えられる。
ミサの中でわたしたちの心に満ちた神の愛は、日常生活の中で隣人の心に向かってあふれ出す。
2.秘跡としてのミサ
秘跡=神様の愛の目に見えるしるし。
 御聖体が秘跡であることは明らかだが、ミサもまた全体が秘跡。ミサ中のすべての動作や言葉に、神の愛が宿っている。ミサに参加するとは、神様の愛に包まれること。
⇒神様の愛に満たされて、わたしたちは日々を感謝の中で、イエス記念しながら、イエス現存と共に、イエス食事をしているような気持で、喜んで犠牲をささげて生きていくことができる。
3.ミサを構成する5つの要素
(1)感謝
 イエス・キリストをわたしたちに与えてくださった父なる神への感謝。「キリストによって、キリスト共に、キリストのうちに」父なる神への感謝を捧げる。ミサの別名は、「感謝の祭儀」。
⇒日々の生活の中で、どれだけ神様からの恵みを感じ、神様に感謝できているかが、ミサにおける感謝の質を決定する。
(2)記念
 時間と空間を越えてイエスの生涯の様々な出来事、「最後の晩餐」、十字架上での死と復活が、目の前で繰り広げられる。その現実に参加していくことが記念。その現実を支えるのは信仰。
「信仰の神秘、主の死を思い、復活を讃えよう。主が来られるまで。」(記念唱)
⇒日々の生活の中で、どれだけ深く聖書を読み込み、イエスの存在を身近に感じられているかが、ミサにおける記念の質を決定する。
(3)現存
 ミサの中では、①御聖体、②司祭、③聖書の言葉、④信者たちの賛美と祈りの中にイエス・キリストが現存する。特に御聖体はイエス・キリストの現存そのもの。
 「これはあなたがたのために渡されるわたしの体。」
 「これはわたしの血の杯。」
《実体変化の教え》
 御聖体は、外見(質料)はパンとブドウ酒だが、その本質(形相)においてイエス・キリストの体と血。
⇒日々の生活の中で、御聖体、司祭、聖書の言葉を通して、あるいは他の信者さんたちとの交わりの中でどれだけイエス・キリストの現存を感じられるかが、ミサにおける現存の質を決定する。
(4)食事
 ミサは、「最後の晩餐」の再現であると同時に、天上のエルサレムにおける「子羊の婚宴」(キリストと教会の結婚式:黙示録19:5以下)の先取り。イエス・キリストと共にする食事。祭壇は、もともとテーブルの象徴。ミサの中で、貧富の差、社会的な地位の差、考え方の差などを越えて、すべての人がイエスの食卓に兄弟姉妹として与る。ミサは、キリストを信じるすべての人が一つの家族としてイエスと共に囲む食卓。
⇒日々の生活の中で、どれだけイエス・キリストと、また人々と深く関わることができているかが、ミサにおける食事の質を決定する。
(5)犠牲
 ミサは、キリストの体と血と共に、わたしたちの全てを神様にお捧げする儀式。
「神の栄光と賛美のため、また全教会とわたしたち自身のために、司祭の手を通してお捧げするこの生贄をお受けください。」
 自分自身を犠牲として神様に捧げるとき、わたしたちの心は聖霊の恵みで満たされる。
⇒日々の生活の中で、どれだけ神様のために自分の思いや時間を犠牲として差し出しているかが、ミサにおける犠牲の質を決定する。
4.日々の生活の中でミサを生きる
 日々の生活の中でミサを生きるとは、ミサを構成する感謝、記念、現存、食事、犠牲という5つの要素を日々の生活の中で実感し、また実践していくこと。日々の生活の中でミサを生きているとき、ミサの恵みはわたしたちの生活全体にしみ渡り、その場だけのものではなくなる。
 ⇒日々の生活の中でミサを生きているとき、ミサはわたしたちの生き方の頂点としてより深い味わいと意味を持つようになる。
5.結論
 わたしたちの生活全体がミサ。
 生活全体がミサになったとき、わたしたちはイエス・キリストの愛の中で毎日を幸せに生きることができる。