フォト・エッセイ(83) 逢山峡

《お知らせ》援助修道会のホームページ(http://auxijapon.com/akanetestimony.html)に、二條あかねさんについてのお知らせが掲載されました。日本時間で本日の夜10時半から葬儀が執り行われるそうです。心を合わせて祈りましょう。

 昨日は、アイスロードと呼ばれる道を通って六甲山に登った。明治期に、六甲山頂の氷室から氷を下ろすのに使われた道だそうだ。午前中はちょうど山陰に入る位置にあって薄暗く、名前の通りところどころ水辺に氷が張っていたりして、やや寒々とした感じの登山だった。
 登りながら、どうしても先日帰天した(と言われている)二條あかねのことが思い出されてならなかった。あんなに元気だった彼女が、もう地上にいないということは全く信じられないことだ。彼女とは、何回か一緒に山登りをしたことがある。体操や水泳で鍛え上げられた彼女の体力には、いつも圧倒されるばかりだった。はじめは一緒に歩いているのだが、気がつくと彼女が何メートルか先を歩き、わたしがそのあとを追いかけるという形になっていた。
 昨日も上りながら、彼女がわたしの先を歩いているような錯覚に何回か捕らわれた。「おーい、待ってくれよ」と心の中で彼女に呼びかけながら、独り山道を登って行った。冬枯れの寒々とした景色が昨日はことのほか心に迫ってくるように感じられ、度々立ち止まっては写真に収めた。
 山頂からは、シュラインロードという道に入って有馬側に下りた。道のあちこちに祠があり、仏像が安置されていることから、神戸に住む外人たちがこの道をシュラインロードと呼ぶようになったそうだ。よく日のあたる道でぽかぽか気持ちよかったし、あちこちに現れる石の仏様たちも心を和ませてくれた。
 シュラインロードを下りた辺りに、逢山峡と呼ばれている小さな峡谷があった。日当たりのいい水辺を選んでお昼ごはんを食べたあと、しばらく歩いていくと広々とした河原に出た。河原に降りていくと腰掛けるのにちょうどいい岩が水辺にあったので、その上であぐらをかいて渓流の流れと向かい合った。「一体、二條ちゃんは最後の時にどんな思いだったのだろう」、「これでよかったんだろうか」そんな思いばかりが脳裏を横切っていった。先日の追悼ミサの中では偉そうなことを話したが、わたしの中ではまだまだ心の整理がつかないのだ。祈りの中で彼女に問いかけ、答えを出していくしかないのだろう。







※写真の解説…1枚目、シュラインロード。2枚目、シュラインロードの石仏。3枚目、4枚目、逢山峡にて。