やぎぃの日記(27) 追悼ミサ


 二條あかねさんの追悼ミサが終わった。
 今回のミサには本当にたくさんの人が協力してくださった。まず、六甲教会の社会活動部の方々が花の手配や祭壇の飾り付けの準備をしてくれた。二條さんの写真を半切サイズにまで引き伸ばして額に入れてくれたのも彼女たちだ。当日は、昼過ぎから台所に入って式の後に行われる「偲ぶ会」のためにチラシ寿司、サンドイッチ、焼き豚、大根の煮物などを作ってくれた。追悼ミサに参加できないけれども式場に飾ってくださいと言って、蘭の鉢植えを送ってきてくださった方もいた。「偲ぶ会」のためにケーキを焼いてきて下さった方もいた。
 援助修道会のシスター方は、二條さんが好きだった歌をたくさん集めたすばらしい式次第や彼女の記念のカードを作ってくださった。当日は、わざわざ広島からも若いシスターが来て、歌やギターでミサに協力してくれた。教会学校のリーダーたちも、彼女に協力して式中にギターを弾いてくれた。式の初めには六甲修道院の院長様が、終わりには聖トマス大学での二條さんの恩師であるシスターが挨拶をしてくださった。
 二條さんの聖トマス大学時代の恩師である和田幹男神父様は、わざわざ箕面での授業を早く切り上げて六甲教会に来てくださり、ミサを共同司式してくださった。市ヶ谷の修道院で二條さんが修練期を過ごしていた頃によく彼女と話したという、イエズス会のダニエル・コリンズ神父様も共同司式してくださった。ミサ全体の司会や第一朗読は、教会の若者たちが引き受けてくれた。
 ミサには、およそ100人くらいの方々が参加してくださった。聖トマス大学ノートルダム清心大学で彼女と一緒に学んだ同級生の方々もたくさん来ておられた。アフリカに多くの宣教師を派遣している「ショファイユの幼きイエズス会」のシスター方も来てくれた。昨年7月に教会で二條さんの話を聞いた若者たちや御婦人がたもたくさん集まっておられた。奉納のとき、その中から36人の方々が、36歳で帰天した彼女の生涯を記念して1人1個ずつキャンドルを祭壇に運んでくださった。
 わたしが説教をする前に、和田神父様と援助会のシスターが二條さんの思い出を語ってくださった。シスターは、二條さんとの思い出の曲をギターの演奏付きで聞かせてくれた。和田神父様が、話の最後に「二條さん、安心してまっすぐに神の国に行ってください」と語られたのも印象深かった。もしわたしたちがふらふらと危なっかしい足取りで歩いていれば、彼女は安心して天国に行くことができないかもしれない。「よほどしっかりしなければ」と思わずにいられなかった。
 ミサの後の「偲ぶ会」にもたくさんの方々が参加してくださった。手作りの料理やケーキを食べながら二條さんの思い出話を語る輪が、あちこちにできていた。みな、二條さんの話をしたくて仕方がないようだった。「彼女と出会った人は、誰でも自分が彼女と一番親しいのだと思ってしまう」とあるシスターが言っていたが、そうかもしれない。確かに二條さんは、いつでも目の前にいる人に自分の愛の全てを注ぐような人だった。
 ミサの中で「すべての人を一つにしてください」というイエスの言葉が読まれたが、このミサに参加したすべての人は、二條さんへの愛、そして二條さんが自分の全てを捧げて愛したイエス・キリストへの愛で堅く一つに結ばれたと思う。このミサの思い出とともに、彼女の記憶を胸に深く刻み込みたい。ミサの準備に協力してくださったすべての方々、ミサに参加してくださったすべての方々、ミサを共同司式してくださった神父様方、本当にありがとうございました。
※写真の解説…キャンドルを奉納しているところ。撮影・六甲教会広報部。