やぎぃの日記(29) 葬儀ミサ


 ここのところ何人か続けて信者さんが帰天され、死者を送るための儀式が続いた。わたしも御2人の方の通夜と葬儀ミサを担当した。
 叙階されてから、もう何回か通夜や葬儀ミサを担当したことがある。だが、何回やってもこればかりは慣れるということがない。帰天された方お一人おひとりがまったく違った人生を歩んできておられるから、それは当然のことだと思う。毎回、御遺族の話しを聞きながら帰天された方がどのような人生を歩まれたのかを思い浮かべ、それに合わせて招きの言葉や説教の言葉を丁寧に準備している。その方の人生の最期に行われる最も荘厳な儀式だから、丁寧準備してしすぎるということはない。
 わたし自身、身近な人の帰天を体験した直後ということもあって、今回の御2人の式には特に気持ちが動いた。毎回、わたしなりに心をこめて精一杯しているつもりだが、今回は自分の悲しみと御親族の悲しみが重なって、いつになく感情を動かされたということだ。
 「故人を思い出し、あの人はもうこの部屋にはいない、このベッドにはいない、この椅子にはいないと思うと涙がこみ上げてきます。ですが、わたしたちは間違った場所に故人を探しているのかもしれません。天を見上げれば、わたしたちはそこに故人の姿を見つけることができます。見当違いなところを見て泣いているわたしたちの姿を、故人は心配しながら見ているかもしれません。微笑みながら、『おーい、わたしはこっちにいるよ』と呼んでいるかもしれません。涙をぬぐって天を見上げましょう。」
 そんなことを話しながら、わたし自身の目にも涙がこみ上げてきた。親や兄弟、親しい友人を突然に失った人々の悲しみは計り知れない。その悲しみを共に担い、共に涙をぬぐいながら「神の国」に向かって進んでいくことができればいいと思う。
※写真の解説…京都、北野天満宮の梅。