フォト・エッセイ(93) 菜の花①


 梅は終わってしまったし桜はまだだし、今週はどこに行こうかなと思っていたときにひらめいた。「そうだ、まだ菜の花がある。」インターネットで検索すると、神戸にも大きな菜の花畑がちゃんとあるではないか。それで、昨日は朝ミサを立てたあとまっすぐ菜の花畑に向かった。
 市営地下鉄の総合運動公園駅で降りて看板に従って歩き、巨大なスタジアムの横を通って坂道を登っていくと坂の上に黄色いものが見えてきた。急いで坂を登りきると、そこには見渡す限り黄色の世界が広がっていた。春の暖かな日差しの中で数万本の菜の花が咲きほころんでいるのを見たとき、わたしはもううれしくて仕方がなかった。時間が早かったせいか、辺りにはまだ誰もいない。まるで、神様から数万本の菜の花をプレゼントされたような気持ちがした。
 リュックからカメラを取り出し、もう夢中で写真を撮り始めた。斜面を登ったり降りたり、しゃがんだり、背伸びしたり、あらゆる角度から菜の花畑の美しさを写真に収めていった。こんなこの世離れした美しい景色を目にすると、もうわたしは前後の見境がなくなり、ただ写真を撮ることだけに没頭してしまう。ミツバチが蜜を吸っている写真を撮ろうと思って花にぐっと迫りながら歩きまわったりもした。数百枚の写真をとって、ふと気がつくと黒いズボンに黄色い模様ができていた。菜の花の花粉があちこちについてしまったのだ。
 絵葉書みたいなきれいな写真ばかり撮っても意味がない、もっと社会の実情を反映した写真を撮るべきだという人もいるが、ふだん社会の現実に直面しながら働いているわたしとしては賛同できない。せめて休みの日くらい無条件に美しい世界に身をひたし、神様の愛を全身で感じたい。そして、その喜びを写真を通して人々と分かち合いたい。わたしにとって、それが写真を撮る最大の理由だ。







※写真の解説…神戸総合運動公園の菜の花。