フォト・エッセイ(140)売布「祈りの森」②


 今回の黙想会は、わたしにとって大きなチャレンジだった。叙階されて1年にもならず、イエズス会員としてもまだまだ未熟なわたしが神学生や司祭を相手に召命について語るなんて、誰がどう見てもあまりに大胆な試みだろう。なぜわたしのような者が指導者として呼ばれたのか分からない。
 黙想会2日目の朝、「祈りの森」を散策しているときも、「一体こんなわたしに何が話せるのだろうか」という思いが消えなかった。黙想会を企画した司祭からは、「片柳さんのありのままを話してくださればいいです。こんな司祭になりたいと思えるような話をお願いします」と言われたが、ありのままのわたしの姿を話したらみんながっかりして「司祭なんかになるものか」と思うかもしれない。かと言って、表面を取り繕った話をしても意味がない。一体どうしたものか。
 聳え立つ巨大な木々の前で、わたしの存在はますます小さく感じられた。しばらく歩くと、木々の中でもひときわ高く聳え立つ1本のダイオオショウの前に出た。その幹に寄りかかりながら梢を見上げたとき、もはや自分を大きく見せようとすることは無意味だと直感した。ありのままの小さな自分を、無様な自分をさらけ出すしかない。わたしの弱さを通して働く神の力に任せるしかない。そう思ったとき、体を緊張させていた力が抜け、心の底から不思議な力が湧きあがってきた。
 参加してくださった皆さんにとって、果たして役に立つ話ができたのかどうかわかない。あとのことは、参加者一人一人の心に働く聖霊に任せる以外ないだろう。お招きくださり、拙い話を聞いてくださった皆さん、本当にありがとうございました。







※写真の解説…宝塚黙想の家「祈りの森」にて。1枚目、モミジ。3枚目、ダイオウショウ(松科)の巨木。4枚目、ヒマラヤスギの巨木。