バイブル・エッセイ(93)分ちあう使命


 エスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。
 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」
 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。
(マタイ14:13-21)
 「パンの増やしの奇跡」と呼ばれる有名な場面が読まれました。この奇跡が一体どんな奇跡だったのかよくわかりませんが、一つ言えるのはこの場面の描写は初代教会で行われていたミサの体験と響き合っているだろうということです。ミサをしながら弟子たちはこの奇跡の体験を思い起こしていたでしょうし、この奇跡を福音に記述するとき、自分たちが日々ミサの中で体験している不思議な出来事を思い起こしていたでしょう。
 その体験とは、イエスから与えられたパンを人々に分け与えるとき、飢えた人が1人も残さず満たされるという体験です。この奇跡の場面で、またミサの中で、イエスが与えた「命のパン」は弟子たちが人々に分け与える間にどんどん増えていき、人々の体と心の飢えを満たしていきました。飢えた人が1人として残ることはありませんでした。すべての人が満たされたのです。
 ミサを立てていると、この神秘を感じざるをえません。イエスが裂いて与えてくださった「命のパン」は、司祭であるわたしが配るうちにどんどん増えていき、ミサに集まったすべての人の心を満たします。ほんのわずかのパンが、何百人もの人々の心に充ち溢れるほどの糧になるのです。ここに「命のパン」の神秘があります。
 この使命は、司祭だけに与えられたものではありません。ミサの中で「命のパン」を受けた瞬間、みなさん一人ひとりにも分かち合う使命が与えられます。「命のパン」で満たされた心を裂いて分かち合うならば、キリストの命がわたしたちと出会うすべての人の心を満たしていきます。1人として、飢えたまま残る人はいません。日々の生活中で、「パンの増やしの奇跡」を体験し、生きていくことができればと思います。

※写真の解説…夕暮れ時の舞子の海。