カルカッタ報告(4)8月25日Sr.プリシラ


 ミサの後、香部屋から出てきたアベロ神父に話しかけた。最初は分からなかったようだったが、14年前に柳田神父さんと一緒にボランティアとして働いていたと言うと「おお、あのときの」と言って思い出してくれた。あの後わたしもイエズス会に入り、昨年叙階されたという話をするととても感激された様子で、今晩でも一緒に食事をしながら話そうと言ってくださった。
 アベロ神父と話しているとき、事務室のあたりでシスターが2、3人わたしたちの方を見ているのを感じた。アベロ神父が立ち去ったあとそちらを向いてよく見ると、懐かしいシスターたちだった。14年前にわたしを本当によく世話してくれた日本人のシスター・クリスティーと、当時マザーの秘書をしていたシスター・シャンティはすぐにわかった。昔とほとんど変わっていない。だが、もう一人の車いすに座ったシスターはよく見ても思い出せなかった。シスター・クリスティーに紹介されて初めて分かったが、そのシスターはなんとシスター・プリシラだった。
 当時、シスター・プリシラはわたしたちボランティアにとって怖い存在だった。ボランティアたちの行動を取り締まる係りのシスターだったからだ。かつて学校の校長をしていたというだけあって威厳もあり、なかなか近寄りがたい人だった。ところが、その彼女が、すっかりいいおばあちゃんになって満面の笑顔でわたしを迎えてくれている。後で聞いたところでは、脳卒中で倒れて以来ずっとこんな風なのだそうだ。記憶ははっきりしているが、昔のような厳しさはもうない。
 シスター・プリシラはうっすら涙さえ浮かべながらわたしの手を取り、掌に口づけをしてくれた。「あのときの坊やが司祭になって戻ってくるなんて」と、懐かしそうにわたしの顔を見上げる彼女を見て、わたしも思わず涙ぐんでしまった。14年前にはわからなかったが、これがきっと彼女の本当の姿だったのだろう。
 祝福してくれというので、彼女たち一人ひとりの頭に手を置いて祝福した。シスター・プリシラには慰めが、最近ガンを患ったシスター・シャンティには回復が、シスター・クリスティーにはこれからもボランティアたちを導く力が与えられるようにと祈った。心の底からそう祈らずにはいられなかった。
 彼女たちとの再会を終えて、シスター・クリスティーと滞在中の日程などを打ち合わせているとき、1人の日本人が階段を上ってきた。よく見ると、なんと五十嵐薫さんだった。昔から日本人のツアーを組織して毎年何回もカルカッタに来る人だ。昔ずいぶん一緒に行動した。白髪が増えてやや老けた印象は受けたが、彼も昔とほとんど変わっていなかった。今回もツアーで来ているという。まさか、初日から彼にまで会うとは思わなかった。
 しばらく思い出話をしたあと、わたしのグループのメンバーたちが待っているのを思い出してホテルに帰ることにした。1階に下りると、マザーの墓がある部屋のドアは朝早いせいかまだ閉じられていた。
※写真の解説…中庭から見たマザー・ハウスの建物。