カルカッタ報告(30)8月26日Sr.マーガレット・メリー②


 案内してくれたシスターたちが修道院に戻った後、しばらく墓の前にとどまって祈った。わたしに司祭が司祭への道を歩み始めるきっかけを与えてくれたのはマザーだったが、マザーが帰天した後、マザーに代わってわたしの司祭への道を祈りで支えてくれたのはSr.マーガレット・メリーだった。「あなたの祈りのお陰で、なんとかこうして司祭になることができました」とわたしは心の中で彼女に語りかけた。
 2008年の枝の主日の日付で彼女が最後にくれた手紙の中には、次のように書いてあった。
「あなたが元気で、大切な叙階の日に備えられるよう望みます。わたしは、ここから毎日、あなたの叙階の知らせを聞くことができるようにと祈っています。教皇様は今年を聖パウロの年にしようとしておられますが、あなたの叙階の年が聖パウロの年になるというのは、ただの偶然ではないでしょう。
 あなたの叙階の日まで生きていて、そのよい知らせを聞くことができればと思います。そして、いつの日かあなたがカルカッタに戻って来て、わたしたちの愛するお母さんであり、あなたにとってもお母さんであるマザーの墓の前でミサ聖祭を捧げることができるようにとも祈っています。」

 今回こうしてカルカッタに戻り、マザーの墓前でミサを立てることができたのは、彼女のこの祈りが通じたからだとしか考えられない。生きているあいだにわたしの叙階の知らせを聞くことはなかったが、今こうして司祭としてカルカッタに戻ってきたわたしを、Sr.マーガレット・メリーはマザーと一緒に天国から見守ってくれていることだろう。それらすべてのことを神に感謝し、Sr.マーガレット・メリーの永遠の安息のために祈った。
 Sr.マーガレット・メリーからの最後の手紙は、次のように締めくくられていた。
「わたしの年若い兄弟、親愛なるポール、どうかわたしのために祈ってください。歳をとるにつれて、もはやわたしには義務しか残されていないのだとますます感じます。それは、わたしの配偶者である十字架につけられたイエスと出会うまで、日々聖性の高みに向かって進んでいくという義務です。」
 今、彼女は地上で彼女に与えられた病苦と義務から解放され、天国でイエスと出会っていることだろう。だが、わたしとしてはいつまでも彼女のために祈り続けたい。その祈りは時間を越え、病で苦しんでいたころの彼女のもとへ届くはずだ。
 墓地から車の待つ修道院へ戻る途中で、イエズス会の墓にも立ち寄った。霊的指導者としてマザーを支え続けたヴァン・エクセム神父の墓は、雑草の中にすっかり埋もれていた。もはや、訪れるひともほとんどいないのだろう。エクセム神父の墓のそばに、やはりマザーの初期の活動を支えたジュリアン・ヘンリー神父の墓もあった。それらの墓の前に立ち止まり、イエズス会の偉大な先輩たちのためにしばらく黙祷を捧げた。
 修道院まで戻ると、シスターたちが1人の司祭を紹介してくれた。たまたまシスターたちに講話をするために来ていたその神父さんは、なんとイエズス会のアルベルト・フアート神父さんだった。2001年に、世界で初めてマザーの霊的闇の存在に気づき、そのことをインドの代表的神学雑誌「ヴィディヤ・ジョティ」に発表した人だ。歳はおそらく80代前半くらいだろう。全身から聖性がにじみ出ているような、立派な方だった。わたしがその記事を読んだことを話すと、とても驚いておられた。
 帰り道、車で人ごみをかき分けながら進んでいるとき、たくさんの人の中に偶然3人の「神の愛の宣教者会」のシスターを見つけた。シアルダーのマーケットまで買い物に来たマザー・ハウスの修練長と修練者たちだった。彼女たちを後部座席に乗せて、シシュ・ババンまで戻った。シシュ・ババンでは今頃、わたしのグループのメンバーたちがボランティアの研修を受けているはずだ。
※写真の解説…Sr.マーガレット・メリーの墓碑。