カルカッタ報告(20)8月25日ホテルでの再会


 車やバイク、路面電車、人力車などが激しく行きかうA.J.C.ボースロードを渡ってマザー・ハウスからホテルに戻った。今朝マザー・ハウスで久しぶりに再会したアベロ神父が8時すぎごろ会いに来るので、それまでに夕食を済ませておく必要がある。アベロ神父も一緒に食べませんかと誘ったのだが、修道院で食べてから来るとのことだった。
 サーキュラー・ホテルのレストランも、懐かしい場所の一つだ。長期でこのホテルに滞在したときは毎日のようにここで食事していたし、ボランティア仲間と一緒に夕食をとったこともたびたびある。柳田敏洋神父さんの帰国前のお別れ会もここでしたし、「死を待つ人の家」で一緒に働いていたアメリカ人やオーストラリア人のボランティアたちともよくここで食べた。
 メニューを見ると、昔とあまり変わっていない。メンバーから何がおいしいかと聞かれたので、昔と同じならばほうれん草のカレーがおいしいと答えた。正式には「パラック・パニアー」という名前のカレーで、ほうれん草をペースト状にしたものに角切りのカッテージ・チーズが入っている。他のカレーと比べて味もマイルドだし、日本人の口には合いやすいカレーだ。他にタンドリー・チキンやフィッシュ・カレー、ナン、サフラン・ライスなどを注文した。どれもインド料理の定番メニューと言っていいだろう。
 サラダなどもおいしそうだし、食後のデザートにアイスクリームなども食べたいところだが、今回は食あたりを警戒して火を通していない料理は一切頼まないことにした。短期間の滞在でお腹を壊してしまうと、何もできないまま帰ることになってしまう。多少の我慢はやむをえないところだ。わたしの昔の経験では生野菜と氷、アイスクリームはとてもリスクが高い食べ物だといえる。もちろん15年がすぎて安全になっている可能性はあるが、あえて試すのは無謀だろう。
 料理を注文しようとしてウェイターを呼んだときに、思いがけないことが起こった。ウェイターがわたしの顔を見てびっくり仰天し、やがて満面の笑みをうかべながら「あなたは昔のお客さんじゃありませんか」と言ったのだ。そう言われてみれば、彼の顔には見覚えがある。結核で寝込んでいた時に、よく食事を部屋まで運んでもらっていたが、あのときのボーイさんの1人に間違いない。「お蔭で病気はすっかりよくなって、昨年、日本で神父になった」とわたしが言うと、さらに驚いて「それはすごい。すばらしい」と感に堪えない様子だった。
 まったく思いがけない再会だ。彼は、15年ものあいだずっとこのホテルのウェイターを続けていたのだ。経営者は当時と変わっているが、従業員は昔からの人たちが何人か残っているらしい。彼と堅く握手を交わし「今回は信徒のみなさんと一緒に来ているから、くれぐれもよろしく」とお願いした。これでますます安心だ。
※写真の解説…右側の緑色のビルがサーキュラー・ホテル。