カルカッタ報告(66)8月28日地下鉄


《お詫び》「カルカッタ報告」シリーズの第63回が抜けていました。追加してありますので、どうぞご覧ください。
 休憩のあと、今度は患者さんたちの昼食の手伝いをした。患者さんたちのメニューはボランティアの昼食と基本的に同じだったが、患者さんたちのためにはカレーにかけるヨーグルトも準備されていた。わたしは、希望者のカレーの上にヨーグルトをかけてまわる役についた。
 食事の片付けまで終わったところで12時半を過ぎたので、わたしはホテルに帰ることにした。「死を待つ人の家」の玄関を出ると、すぐ近くに長い行列ができていた。なんだろうと思って行列の先頭を見ると、車が止めてあり、そこでサリーを着た女性たちがお米の入ったビニール袋を配っていた。慈善団体が貧しい人たちに食料を配っているのだ。行列に並んでいる人たちは、自分まで配給がまわってくるか気が気でない様子で前を覗き込んでいた。みな生活がかかっているのだろう。必死になって当然だと思う。
 わたしは、地下鉄の駅へと向かった。帰りは久しぶりに地下鉄を使ってみようと思ったのだ。地下鉄はカルカッタ市民の自慢の1つで、インドで唯一の地下鉄路線だ。カルカッタ市内から、郊外にあるダムダム空港までを結んでいる。料金は15分ほど乗って20円足らずだ。渋滞も避けられるし、安価で便利な乗り物と言える。昔は、仕事の後いつも仲間たちと地下鉄でサダル・ストリートまで行き、そこで昼食をとったものだ。
 「死を待つ人の家」を出てカーリー寺院の参道を歩き、バス通りを左折してしばらく行くと地下鉄のジャティン・ダス駅がある。チケットを買って中に入り、広々としたホームに出た。換気のために天井の何カ所かから外部の空気が噴出するようになっているが、この風が心地よくて昔はよくその下で涼んだものだ。
 しばらく待つと電車が来た。電車の中で偶然、マドリッドから来た神学生の1人、ホセ・イグナシオと出くわした。彼はボランティアのあと「死を待つ人の家」のもう1つの最寄り駅、カーリー・ガート駅の方から電車に乗ったらしい。電車の中はすごい騒音でほとんど話ができなかったが、軽く挨拶だけは交わした。
 ホセ・イグナシオは、鼻の下から顎にかけて立派なひげを蓄えた、澄んだ瞳の20代の青年だ。映画俳優にしてもおかしくないほどハンサムな顔立ちにひげの印象が重なって、まるでイエス・キリストのように見える。電車を降りた後、サダル・ストリートに着くまでの道のりで少し話すことができた。
 わたしが昔、マザーに会ったことがあるという話をすると、マザーはどんな人だったのかとホセ・イグナシオはわたしに熱心に尋ねた。出会ったときの印象などを話すと、彼は感慨深げにうなずいていた。別れ際に祝福してくれというので、サダル・ストリートの街頭ではあったが、彼の頭の上に手を差し伸べて祝福した。とても感じのいい青年だ。
※写真の解説…配給の列に並ぶ人々。