カルカッタ報告(63)8月28日「死を待つ人の家」


 Br.ジェフと別れた後、わたしたちはそれぞれのボランティア場所に向かって出発した。わたしは、一昨日と同じくバスで「死を待つ人の家」へ向かった。明日の午前中はマザー・ハウスで近隣の教区のためのミサを頼まれているし、明後日はもう帰国の日だから、わたしにとってはこれが最後のボランティアということになってしまう。3日間予定していたボランティアのうち1日を司祭的な奉仕に当てるというのは、まあ悪くないかもしれない。
 8時半頃に到着すると、また患者さんたちを入浴させているところだった。前回と同じく、わたしはまずその手伝いから始めることにした。病棟から洗い場まで患者さんを運ぶ人手が足りないというので、ブラザーや他のボランティアたちと2人組になって患者さんを運んだ。万が一にも手をすべらせて患者さんを落としたり、足を滑らせて転んだりしては大変なので、慎重に一歩一歩を確かめながら運んだ。重いし緊張するし、なかなか大変な仕事だった。そうやって、10人くらいの患者さんを運んだと思う。
 その後、洗濯物を室内に干してくれと頼まれた。今日も朝から雨が降っており、洗濯物がまったく乾かないのだという。これは、うちのメンバーたちもこぼしていたことだ。毎日毎日じとじとした雨が降り続くと、気分も滅入ってくる。
 患者さんの頭の上に張られたワイヤーに、患者さんたちの寝巻を1枚1枚干していった。背が高いボランティアでないと届かない位置なのでわたしが選ばれたらしい。患者さんたちに水滴が落ちないように気をつけなければならない。結局、全部は干しきれず、一部は2階の屋根の下に干した。
 その作業が終わった後、わたしはまた病棟に行って患者さんたちの世話をした。いつも朝のミサで侍者をしている神学生のロレンゾが、患者さんたちの足に油を塗ってマッサージしていたので、わたしもやり方を教えてもらった。「イエス様の足に油を塗るんだから、これは『ベタニア』の仕事だよ」、とロレンゾは言っていた。福音書に出てくる、ベタニアで罪深い女がイエスの体に油を塗る話のことを言っているのだ。
 ロレンゾは、スペインのマドリッド教区の神学生だ。今、ホセ・イグナシオとディエゴという2人の神学生と一緒に、実習のためにカルカッタに来ている。朝のミサで侍者をしているので、いつもミサの前に少し話す。3人とも英語はあまりよくできないが、気さくな連中だ。
 ロレンゾに言われた通り、1人ひとりの患者さんがイエスだと思い、その足に油を塗っていった。マッサージはなかなかうまくいかなかったが、患者さんたちの方が慣れたもので、身振り手振りでここをこうしろと指示してくれた。枯れ木のようにやせ細った1人の患者さんの足に油を塗っていたとき、まるで本当にイエスの体に触れているような気がした。こんな体になるまでにこの患者さんが味わってきたすべての苦しみを、イエスはすべて彼とともに担ってこられた。そして今、こうしてここにおられる。そんな気がした。大きく見開かれた患者さんのうつろな瞳の向こうに、確かにイエスのまなざしが光っているようだった。
※写真の解説…カーリー寺院の参道。