カルカッタ報告(100)8月30日マザーの墓前にて


 4時半からSr.クリスティーの講座で話を頼まれているが、それまで時間があったのでわたしはマザーの墓の前で祈ることにした。墓のある部屋に行く途中で、日本人の修練者とすれ違った。笑顔で会釈しながら通り過ぎていくその姿が、とても幸せそうに見えた。
 この1週間カルカッタ中を忙しく動き回っていたので、マザーの墓の前でゆっくり祈る時間があまりとれなかった。改めて墓に向かい合いながら、わたしはカルカッタ滞在中の出来事を振り返ることにした。
 今回の旅の中で一番強く印象に残ったのは、「生きているマザー」との再会だった。初めて墓の前に立ったときに起こった衝撃的な体験から始まって、この旅のあいだずっとわたしはマザーの存在を感じ続けていた。墓のある部屋だけでなく、マザー・ハウス全体にマザーの愛が溢れているような気がしたし、「死を待つ人の家」でも確かにマザーの存在を感じた。
 それは、おそらくそこにいる人々の中にマザーがしっかりと生きているからだろう。快活に働くシスターたちの姿や彼女たちが浮かべる温かい微笑みは、マザーの姿や笑顔をはっきりと映し出していた。まるでマザーが彼女たちと共に働き、彼女たちの中から微笑んでいるかのようだった。あらゆる意味でマザーは生きている。死んでなどいないと、わたしは深く確信した。
 そう思ってマザーの墓石に手を触れると、その冷たい感触を通してマザーの温かな愛がわたしの中に流れ込んでくるように感じられた。それと同時に、心の奥深いところから力がこみ上げてきて、この力とつながり続けている限りもう何も怖くないと思えるほどだった。こんな体験も、思えば生まれて初めてのことだ。
 マザーの愛をたっぷりと体に蓄えて、わたしは立ちあがった。今度は、この恵みを人々と分かち合わなければならない。時刻は4時を過ぎていた。わたしは2階に上がってSr.クリスティーと講話の打ち合わせをすることにした。  
※写真の解説…マザーの墓の上に灯されたキャンドル。