そのとき、イエスはニコデモに言われた。「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3:13-17)
モーセが作った青銅の蛇を見上げた人々は、毒から癒され、命を救われました。彼らがどれほど真剣なまなざしで青銅の蛇を見上げたか、想像してみるといいかもしれません。それはまさに、命がけのまなざしだったことでしょう。
現代の世界にもたくさんの毒蛇がおり、噛まれて毒に冒された人々がいます。わたしたちの身近に這う蛇、それは競争社会の価値観、自分さえよければいいという考え方、神の愛を忘れてただ人の評価だけを求める心など、あらゆるこの世の価値観だと思います。それらの蛇は、人々の心に孤独感、無力感、絶望などの毒をもたらします。これらの毒は、放っておけば人間を死にさえ導くものです。
この世の毒に蝕まれた人々を救うために、神はわたしたちに十字架にかけられたキリストを与えられました。十字架を見上げるとき、わたしたちはそこに孤独、無力さ、絶望の極みに置かれた神の姿を見出します。神がわたしたちと共に、蛇の毒を苦しんでくださっているのを見るのです。そのとき、わたしたちの心を蝕んだ毒は消え、わたしたちの体は再び力に満たされていきます。
毒を癒すこれ以上の薬はどこにもないでしょう。この世の価値観がもたらす毒に心を蝕まれているのに気づいたら、すぐに十字架上のイエスを見上げたいものです。荒れ野で毒蛇にかまれた人たちが青銅の蛇を見上げたのと同じように、あるいはそれ以上の熱意をもって十字架上のイエスを見上げたいものです。十字架上にわたしたちと共に苦しむ神、イエスの姿を見たとき、わたしたちの心を蝕んだあらゆる毒は清められ、再び命がもたらされるでしょう。ここに、この世に打ち勝った十字架の勝利があります。
※写真の解説…Mall of Asiaから見たマニラ湾。