マニラ日記(24)スモーキー・マウンテンⅤ〜倉庫群


倉庫群
 海沿いのスラム街を後にして、わたしたちは埋め立て地に隣接する倉庫群に向かった。かつて港から陸揚げされた貨物を入れるために作られた20棟の大きな倉庫が、貧しい人たちの住まいになっているという。政府が貧困者対策として、老朽化したこれらの倉庫群を開放しているらしい。
 「中は非常に治安が悪いので十分気をつけてください」とシスターから注意を受けながら、わたしたちは薄暗い倉庫の中に足を踏み入れた。倉庫なので窓はなく、壊れた天井の隙間から射してくる太陽の光だけが唯一の自然な明かりだ。2階建てだが、一部が吹き抜けの構造になっているので1階にもかろうじて光が届く。しかし風通しは極度に悪く、歩いているとじっとりとした空気が肌にまとわりついてくる。今の季節は気温が低いからまだいいが、酷暑期には一体どんな状況になるのかと心配せずにいられなかった。
 人々は、広い倉庫を板で区切って居住空間にしていた。それぞれの部屋には全く光が差し込まず、薄暗い電燈だけが中を照らしていた。幸いなことに、電気と共同の水道、トイレは確保されているらしい。暗くて狭い部屋の中にいるのがつらいのだろう、子どもたちはみな外に出て遊んでいた。外に食卓を並べて食事をしている家族もあったが、食べ物はご飯と何かのペーストのようなものだけだった。おかずと呼べるようなものは何もなかった。20棟の倉庫の中で、数千人の人々がこのような生活を強いられているという。
 シスターたちはまるで迷路のような倉庫群の中を歩き回り、心配がある家族を次々に訪ねて行った。一つの倉庫で、また葬儀の場面に出会った。亡くなったのは20歳の青年だった。詳しい事情はわからなかったが、病死だという。シスターが、棺の前で呆然と座り込んでいた母親に優しく声をかけると、母親はシスターにすがるようにして泣き崩れた。カトリックの信者ということだったので、わたしたちも司祭としてご遺体の前で祈りを捧げた。
 今回はシスターたちの案内があったのでスラム街の一番奥深くまで足を踏み入れ、人々の生活を垣間見ることができたが、普段の生活の中でわたしたちが治安の悪いスラム街に入ることはまずない。マニラの街のいたるところで小規模、中規模のスラム街を見かけるが、そこでもたくさんの人々が同じような生活を強いられているのだろう。それが、国民の27%が貧困線以下の生活を強いられているというフィリピンのもう一つの素顔だ。
※写真の解説…かつての港湾倉庫群に、たくさんの人たちが住んでいる。