バイブル・エッセイ(162)貧しい馬屋に


貧しい馬屋に
  そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。
 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2:1-14)

 天使の大軍がその栄光を讃えた救い主イエス・キリストは、馬小屋で家畜たちに囲まれて生まれました。なぜ神の子、平和の君、全人類の救い主である方が、こんな貧しさの中に生まれなければならなかったのでしょう。
 この神秘について祈っているとき、ある出来事を思い出しました。わたしが小学校1年生くらいだったころのことです。その日は、雨がやんだばかりで校庭のあちこちに水たまりができていました。ですが、元気な子どもたちは校庭で遊ぶのを我慢できず、休み時間になると校庭に飛び出していきました。わたしもその子どもたちの一人でした。
 わたしたちが遊んでいると、突然後ろの方から女の子の鳴き声が聞こえました。振り返ると、同級生の女の子が足を滑らせて泥水の中に倒れ、泣いているのが見えました。わたしたちは女の子のそばに駆け寄り、口々に「だいじょうぶだよ。がんばって」と励ましましたが、女の子はますます大きな声で泣くばかりで起き上がろうとはしません。
 そのうち、泣き声を聞きつけた先生がやってきました。先生は、女の子の様子をしばらく困ったような顔で見ていましたが、次の瞬間まったく思いがけない行動に出ました。女の子を泣き止ませるためにこの先生が一体、何をしたと思われますか?
 なんと、この先生は自分自身も泥水の中に倒れこんだのです。先生が着ていた服は、女の子の服と同じように泥だけになりました。わたしたちがあっけにとられて見ていると、先生は倒れたまま女の子の方を見て「ほら、先生も泥だらけだよ。大丈夫、一緒に立ち上がろう」と話しかけました。すると、女の子はついに泣き止み、先生と一緒に立ち上がったのです。
 たぶん、わたしたちが周りを囲んで頭上から励ましていたとき、この女の子は「この人たちは、誰もわたしの悲しみをわかってくれない」と思って泣き続けたのでしょう。先生が自分と同じように泥だらけになって励ましてくれたときに泣き止んだのは、「この先生はわたしの悲しみをわかってくれる」と思ったからに違いありません。
 わたしは、この先生がしたことこそ、まさにイエスがしたのと同じことなのではないかと思います。天使のお告げを受けた羊飼いたちは、貧しさの極みを生きていました。彼らには、夜寝る場所さえなかったと言われています。そんな人たちに「神はあなたたちと共にいる」ということを信じさせるため、イエス自身も彼らと同じ貧しさの中に生まれたのです。
 もしイエスが宮殿で生まれていたら、羊飼いたちは「ああ、神は金持ちのところに来られたんだな。わたしたちの気持ちは分かってくれない」と思ったかもしれません。しかし、貧しい馬小屋で家畜たちに囲まれ、飼い葉おけに寝かされている救い主を見たとき、彼らは「神はわたしたちと共にいてくださる」と信じることができました。こうして、貧しさの極みを生きる羊飼いたちに救いが訪れたのです。
 苦しみの中で倒れ、泣いているわたしたち人間を救うため、イエスは人間の苦しみをすべてわたしたちと共に味わってくださいました。苦しみの中で倒れこみ、泣いているとき、イエスはわたしたちと同じ苦しみの中に倒れながら「ほら、わたしも泥だらけだよ。大丈夫、一緒に立ち上がろう」と語りかけて下さいます。その声に耳を傾けるなら、きっとわたしたちも立ち上がることができるでしょう。
★このエッセイは、昨年ナトニン教会のクリスマスの深夜ミサで行った説教に基づいています。
※写真の解説…お百姓さんたちが背負っている竹細工の籠。ナタは、帯につけて腰から下げている。