バイブル・エッセイ(183)命を捨てる


命を捨てる
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネ15:12-17)
 「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」イエスは、友であるわたしたちのために十字架上でご自身の命をお捨てになり、この言葉をご自身で証しされました。「友のために命を捨てる愛」、わたしたちはどうしたらそんな愛を生きられるのでしょうか。
 東日本大震災のニュースの中で、大災害の中にあってこの愛を生きられた方たちのことが報道されていました。町役場の防災放送の持ち場を最後まで離れず、ついに津波にのまれて亡くなった若い女性。避難誘導の最中に津波に飲まれた警察官の方、入所者を助けるために戻って津波に飲まれた老人施設の職員さん、彼らが証ししたのは、まさに「友のために命を捨てる愛」だったと言っていいでしょう。お蔭で助かった人たちは、生涯、彼らの残してくれた愛を忘れることがないと思います。
 わたしたちが日常生活を生きている中で、「友のために命を捨てる」ほどの状況に直面することはまずありません。ですが、わたしたちもそれと同じ愛を長い年月をかけて生き抜くことできると思います。わたしたちにとって「友のために命を捨てる」とは、愛する人たち、家族や友人、隣人たちのために自分の生涯を捧げ尽くすということでしょう。愛する夫のため、妻のため、子どもたちのために自分の時間、力、思いのすべてを差し出して生き抜いた人は、家族のために「命を捨てた」と言っていいでしょう。会社や地域での仕事を通して、友人や仲間のために人生を捧げた人は、まさに友のため、隣人たちのために「命を捨てた」と言っていいと思います。彼らの人生に触れた人たちは、その人が残してくれた愛を一生忘れることがないでしょう。
 エスに倣い、大津波という自然の猛威の中で人間の愛を輝かせた多くの人々に倣って、わたしたちも日々の生活の中で「友のために命をすてる」ほどの愛を生き抜きたいものだと思います。
※写真の解説…六甲山、高山植物園のウメザキウツギ。